南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記23【1期】1年間奉仕した教会にて

  2009年秋より、首都近郊にある教会(F教会)にて、アメリカ人宣教師が母国へ帰国している間、毎週の夕拝での説教を任せられました。奉仕を始めてから約1年を迎えた2010年に宣教師がアメリカからA国へ戻ってこられ、F教会にて任せられていた務めを終えました。

 途中、病気を患ったり、いろんな出来事がありましたが、無事に責任を果たし終えることができ安堵の思いで一杯でした。

 最初は慣れない現地語の説教の中で、自分の伝えたい思いをなかなかA国語で伝えられない、また相手に伝わらないというのは大きなストレスでした。まるで気持ちが空回りしているようでした。完全に自分の力不足でした。

 毎週のA国語による説教準備も大変でしたが、この経験は数年後にまた別の教会での奉仕につながることになりました。一歩一歩と階段を昇るように、必要な奉仕や働きへと神は導いてくださったのです。

1.伝わらない説教

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 「最初、先生の説教は、何を言っているのか全然分かりませんでした。でも、先生が熱心に話している姿を見て励まされました。」 

 最後の説教の日、約1年間奉仕をしたF教会のメンバーの方々が集会の中で一人ひとり挨拶をしてくださいましたが、口を揃えて言われたことは「最初は先生が何を言っているのか全然分かりませんでした。」

 初めの頃の説教は、よっぽどひどかったのだろうなと心の中で苦笑いしながら、かつ申し訳なく思い、またメンバーの方々の忍耐と祈りに感謝しながら挨拶を聞いたことを覚えています。

 私としては毎回、精一杯の準備をして臨みましたが、いつも大変緊張しながら無我夢中での奉仕でしたから、発音や言い回しのミスはたくさんあったのだと思います。

 「先生、この前、皆さん目を開けて祈りましょうとか言っていましたよ。」(私としては目を閉じてと言ったつもりの発音ミス。)

 「先生、時々説教に日本語が混じるんですよね。」(自分としては、全部A国語を話していたつもりだが、発音が下手で伝わらず日本語と思われていた。)

 そう言って、にこやかに私のミスを指摘してくださったF教会の方々には、当時を振り返った時に感謝しかありません。そのような率直な指摘によって、私も働きの中で一歩一歩と成長することができました。

 パウロはこのように聖書の中で記しています。「舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。(Ⅰコリント14:9)」

 このことを身をもって実感した思いでした。自分の話す言葉が明瞭に相手に伝わらなければ、それは空気に向かって話しているのと同じことになります。例えどれだけ時間をかけて外国語による説教を準備したとしても、結果的に空気に向かって話していることになれば、それは悲しいことです。

 そうならないように、海外宣教に関わる者は努力しますし、神様がみことばを通じてその人の心に働きかけてくださるように祈らされるのです。

 いつも説教の後に、今日も上手にA国語を話せなかったと落ち込んでいる説教者を前に「恵まれました」「教えられました」「ありがとうございました」と口々に言ってくださったF教会の方々によって、私は励まされ前に進むことができました。

 宣教師は現地の教会を建て上げるために出かけていきますが、宣教師自身も現地の教会との関わりによって育てられていくのです。

 

2.現地の教会での経験

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 約1年間奉仕をしたF教会では、現地の伝道者と一緒に伝道に行ったり、野外集会に行ったり、様々な働きを共にしました。その中で現地の教会と伝道者から多くのことを学ぶことができましたし、私にとって貴重な経験でした。

 多くの宣教師は、母国から宣教地に派遣されて最初の時期(1期)は現地語の勉強をします。最初の時期、言葉の勉強に専念できるというのは恵みですし、またそれからの働きのためにとても大事なことです。

 以前ある宣教師と話す機会がありましたが、様々な事情の中で宣教初期に言葉の勉強を短期間しかすることができなかったとのこと。それは長い目で見て失敗だったと言われていたのが印象的でした。

 宣教の働きが本格的に始まると、言葉の勉強のために時間を取ることが難しくなります。もちろん外国語の勉強には終わりがありませんから、常に習得する思いはいつになっても必要なのですが、語学のためにまとまった時間と労力が割けないのです。

 そのような意味で、宣教師として最初の期間にしっかりと語学のために時間を取ること、語学に専念すること自体が働きであるととらえること、そのことが将来の働きにつながることを心に留める必要があるように思います。

 場合によっては、第1期の中で現地語を学ぶ前にまず英語を勉強することが必要になるかもしれません。ある宣教師は、宣教1期にまず第3国に渡り英語学校で勉強され、それから宣教国に入って現地語を勉強されました。多くの国で現地語は英語を通してでしか学べないことも理由の一つです。宣教師それぞれに色々なケースがあります。

 語学を続ける中で、現地語がある程度理解できるようになると、多くの宣教師は新しく教会を始める前に現地教会で奉仕をします。その時点で教会を新しく始める宣教師もいますが、比較的少ないように思います。

 そのような現地の教会での奉仕の期間は、とても大切な期間だと私は思っています。私はその機会の中で、できれば現地の伝道者と共に働きたいと願っていました。それは、現地のクリスチャン、また現地の教会のスタイルをより深く知りたいと思ったからです。

 母国の教会のスタイルと、宣教地の教会のスタイルは同じではないからです。もちろん同じ点も多くありますが、様々な違いがあります。初期にその違いを理解することは大切ですし、そうでないと現地に「母国のスタイルの教会」を建て上げることにつながります。

 私は今までA国内のいくつかの教会に出席する機会がありましたが、A国に遣わされた宣教師の母国のカラーやスタイルというものが、宣教師の関わる教会には自然と滲み出るように感じたことがあります。

 西洋人宣教師が関わる働きには西洋的なカラーが滲み出ます。アジア人宣教師が関わる働きにはアジア的なカラーを感じます。私が関わった働きは、自然と日本的なカラーが周囲には感じられたことだと思います。それはある特定の文化をまとった人間が関わる以上、自然なことですし、決して画一的ではないそれぞれの特色ある地域教会の素晴らしさともいえます。またその色々なカラーが宣教に用いられることもあります。

 ただその中で、私としては母国である日本のスタイルをそのまま現地に持っていくのではなく、できる範囲で現地のスタイルを尊重したい、日本の匂いではなく現地の匂いがする教会を建て上げたいという思いがありました。どのようなやり方が良いかそうでないかではなく、これは私個人の願いから出たことです。もちろん私のような外国人が関わる以上、決して簡単なことではないですし、実際に経験した中で言えるのは、難しいという一言です。ただその思いは心の中にいつもありました。

 そのような意味で、宣教1期に現地の伝道者とある期間共に働けたのは、私にとって貴重な機会でした。何をすることが良いのか、何をすることが現地では受け入れられにくいのか、そのことを身をもって学ぶことができました。

 私が今まで宣教地でしてきたことの多くは、現地教会スタイルの「模倣」とも言えます。「独創的」なことはほとんどありません。あえて言うならば現地教会のやり方の「模倣」に自分なりの考えやアイデアを少しずつ付け足してきました。そのことが聖書の指針に反していない限り「模倣」から始まることは決して悪いことではないと私は思います。

 

3.召天と神の時f:id:krumichi:20211203020946j:image

 このF教会で説教の奉仕をしたのは、今この文書を書いている時点(2021年)から振り返ってもう10年以上前になります。

 あの時にF教会で一緒に礼拝していた2人のご婦人は、あれから病気によって先に天国へと行かれました。それぞれまだ幼い子供さんを残しての召天でした。教会にとっては大きなショックでした。身近な方が召天されたと聞いた時に、A国の医療の現実を知る者として、もし日本の医療水準だったら助かったのだろうかと思うこともあります。でも、こればかりは分かりません。

 ただA国では、日本よりも「死」というものを身近に感じることが多いのも事実です。後にA国の地方で新しく集まりを始めましたが、その集会に何度も来てくれたクリスチャン青年がいました。彼も、ある時事件に巻き込まれ天に召されたとの話を聞いて絶句しました。まだ若かったのに。

 同じく地方で始めた集まりにいつも来てくれた中学生の女の子がいました。その子は私たちとの出会いの中で、福音を受け入れることができ嬉しかったのですが、話を聞くとその子の両親は既に病気でなくなっていました。親族のもとにあずけられているのですが、親族の事情で各地を転々としていました。私たちとの出会いから数年して、彼女はまた遠い場所にある違う親族のもとへと移っていきました。

 ある地方に住んだ時に、自宅の近くにはバラックがありました。自宅を開放して日曜学校を始めた時に、そのバラックから男の子がいつも参加してくれました。両親と同居していましたが、ある日お父さんが病気でなくなり、しばらくして、お母さんも相次いでなくなりました。その子は姿を見せなくなりました。その後親族に引き取られていったと聞きました。

 医療が進んでいる国では、普段の生活の中で「死」というものを身近に感じることは、少なくなっているのかもしれません。しかし、A国に住んでいると、肉体の「死」という現実を身近に感じられることがあるのです。いのちは神のもの。そして全てに神の時があることを、福音を伝えていくことの大切さを、A国の働きの中で強く覚えさせられています。

 

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宣記22【1期】肉のとげを通して

  現地語による説教奉仕が始まった2009年から、現地教会での他の働きなどもあって、数ヶ月に渡って気が休まらない日々が続いていました。初めて現地語による奉仕が任せられたこともあって、その奉仕に全力を注いでいた半面、知らず知らずのうちに体の疲れがたまっていたことに気づきませんでした。そのうちに、たまっていた精神的また肉体的な疲労が目に見える形であらわれてきました。

1.ひとつの小さな肉のとげ

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 思い返すと2010年初旬ぐらいから、体調の違和感を薄々と感じつつありました。今まで経験したことのない違和感でしたが、当初はあまり深刻には考えていませんでした。

 しかし、しばらく経っても一向に違和感は改善せず、ある日の深夜に突然激しいめまいの発作が起こり目が覚めました。翌朝になっても発作は続き、とりあえず小さなクリニックでめまい止めの点滴をしてもらい一旦症状は落ち着きました。

 それからもしばらくの間、落ち着いたと思ったら軽い再発があるなど、症状はなかなか治まりませんでした。現在のA国の医療事情は昔よりも進んできていますが、当時は詳しい検査や治療はA国では難しく、現地の様々な方々からアドバイスを頂いた上で、隣国に行って治療を受けることとなりました。

 病気治療のために国境を越えて隣国に渡らなければならなかった宣教師を今までも何人も見てきました。しかし自分が行くことになったのは初めてのことでした。A国を離れ隣国に入国すると、そこはまるで別世界でした。建物も空港も何もかもが大きく、また人の数も多く、圧倒される思いでした。隣国首都にある病院に行き、専門科にて精密検査を受けることができ、とりあえずは薬で治療できるとのことで一安心でした。

 しかし、それからというもの数年ごとに同じ症状が繰り返し出て、その度ごとにその症状に悩まされることになりました。発作が再発する度に動けなくなる日々が続きました。また何度も発作を繰り返す中で、体が非常に疲れているときに症状が出やすいことが段々と分かってきました。

 初めての発作から数年経って治療を受けた病院で、ある病名を告げられ、その病気だと思われるとの診断がありました。完治は難しく、上手に付き合っていかないといけないと。今まで大きな持病らしい持病はありませんでしたので、「今後も長く付き合っていく病気」だと知らされたときには、なかなかその事実を素直に受け止めることができませんでした。

 ある宣教師にそのことを話すと「それは神様から与えられた肉のとげのようなものかもしれませんね」と言われたことを覚えています。聖書に書かれているパウロの「肉のとげ」とは彼の体に与えられた何かの病の可能性もあるように言われています。もちろんパウロの肉のとげに比べたら、私の肉のとげは極々小さなものです。とはいえ、できれば避けたい思いもあります。

 しかし、視点を変えるならば「肉のとげ」とは体に与えられたリミッターのようなものであって、知らず知らずのうちに状態がもっと悪い方向へと進んでいかないために、「肉のとげ」が守ってくれているという事実もあるのだと思うようになりました。

 

2.肉のとげを通して

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 宣教地での持病の発症を通して、それまでの考え方や動き方からの転換が求められているように感じました。その頃を振り返るならば、ただひたすら無我夢中に走っていたような状況だったと思います。必死に取り組んでいたからこそできたこともあるのは事実です。しかし、年齢を重ねるにつれて、思いに身体がついていっていないことに気づいていませんでした。

 今から考えるならば、当時は心と体のバランスが崩れていたのだと思います。そのような意味では、病の発症はそのことを気づかせてくれた一面もありました。

 当時の病の発症を通して、考えを改めた点をいくつか記します。

①無理をしないように心がける

 病気を発症した後は、なるべく無理をしないように心がけるようになりました。特に発作の前兆のようなものがあれば、意識的に休息を取るようにしました。

 定期的に体を休める時を取らなければ、結局のところ体調のバランスを崩すことになり、もっと長い休みを取らざるを得なくなります。一度体調を崩すならば、回復にはその何倍もの時間がかかります。そうならないように、意識的に休息することが大切なことを、一連の出来事の中で学びました。

 ある信仰書にもこのように書いてあったことが強く印象に残っています。『神様が安息日を定められたように、人間にとって身も心も休む日は必要。牧師も宣教師も、自分自身で休息日を決めて、その日は大切にしなければならない。そうでなければ、倒れてしまう。他人任せではなく自分自身で自らの健康を管理しなければならない。

 ある日、街の中で知人の宣教師にばったりと出会いました。数年ぶりの再会でした。一緒にベンチに座り話を聞くと、知人の宣教師は自ら燃え尽き症候群のような症状で長く苦しんでいると話してくれました。そして懇々と諭してくれました。「過労に気をつけなさい。絶対に無理をしてはいけない。そうでないと、私のようにつらい思いをすることになるから。」そのアドバイスがとても心に染みたことを覚えています。

 賜物が人それぞれ異なるように、与えられている器の容量も人それぞれ異なります。限界となるポイントも一人一人異なるのです。それは牧師も宣教師も伝道者も変わりません。他人と比較してではなく、他人に合わせてではなく、他人任せでもなく、他人の目を気にしてでもなく、自分自身で自らのリミットを知って、そのリミットを超えないように注意する必要があることを感じています。

 

②自分にできないことは他人にゆだねる

 病を発症する中で、自分にできないことはできないと率直に認め、時には他人に任せるということの大切さを知りました。発症するまでは、何でもかんでも自分ひとりで頑張ろうと、ついつい思ってしまいがちでした。誰かに任せたり、委ねたりということが苦手だった気がします。でもそれは間違いでした。

 宣教の働きは私一人で全部のパートをおこなうことではありません。数年前にある牧師に言われた言葉を今でも思い出します。「一人単独で行うよりも、何人かで協力しながら行う宣教の働きもいいのではないですか。」もちろん人それぞれの賜物や行き方がありますが、一人よりも二人の方が祈りあえ、支え合えるという面はあるのだと思います。

 私はこの病をきっかけとして、自分ひとりでは明らかに無理と思われること、また自分に与えられた能力や賜物の範囲を明らかに越えていると思われることに対しては、あえて手を出さないことに決めました。それは神様が自分ではなく、他の誰かに望んでおられる働きかもしれないからです。

 また、もし信仰の立場が同じ同労者が周りにいたら、協力や支援をお願いすることをためらわないようにしました。このことは、やがて私自身がA国の地方で新しく集まりを始める時に、自分ひとりで全部を抱えて行うのではなく、近くの交わりができる教会と一緒に協力しながら働きを行うというやり方につながっていきました。このやり方は私の性格や賜物にも合っていたと思います。

 

3.肉のとげと神の配慮

 私自身、ひとつの「肉のとげ」が与えられた時に、周りを見ると多くの宣教師も「肉のとげ」で苦しんでいる事実を知りました。

 今もA国で働いている知人宣教師も長い持病で苦しんでいます。彼はある時、このような文章を記していました。

「私は身体の痛みや身体の制限が少なくなることを望んでいますが、病のいやしによって満足するという罠に陥らないようにすることの方が大切です。私の満足は、この人生の中でのいやしではなくキリストであり、希望と喜びもキリストにあるべきなのです。私は私に対する神のみこころを知りたいと願い求めていますが、ひょっとしたら神のみこころ、すなわち神の最善は、いやしではないかもしれません。慢性的、長期的な病気を抱えている人は、この戦いをよく知っているでしょう。…」

 持病やとげの中にも、何かの神の計画があり、神は常に最善をなさるお方である。そして身体の弱さを通しても神様は何かのことを教えようとされている。そのことを忘れないようにしたいと思わされています。

 後にA国の地方に移住して働きをおこなっている時には、私の持病もそうでしたが、特に家族の健康に関しては祈らされました。日本の教会の皆様にもいつも祈って頂きました。もしその地で大きな怪我や病気をした場合、治療のために300キロ離れた首都の病院まで行かなければならなかったからです。

 何回か私の持病が再発した時には、首都まで通うこととなりましたが、それでも家族共々、熱帯病などの大きな病から守られたことは感謝でした。健康には留意しながらも、最終的に健康を支え、体を守ってくださるのは神であることを、また与えられる「肉のとげ」にも何かの理由があり、背後には深い神の配慮があることを、これらの経験の中で改めて教えられました。神はいつも神の目から見て最善をなさいます。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

 

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宣記21【1期】現地での伝道とは

 A国の多くの教会でも、近隣に出かけていってトラクトを配ったり、出会う方々に教会の案内をする伝道活動をしています。年中暑いA国では、家の前に座って日陰で涼んでいる方々も多く、直接トラクトを手渡してお話する機会もよくあります。私も教会のメンバーと一緒に伝道活動に行きましたが、実際に近隣の方々に出会って、様々なお話をしたり聞いたりする中で、気づくことも多くありました。今回はA国での伝道の中で気づいたことや感じたことをいくつか書きたいと思います。

1.キリスト教に対する見方

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 まずA国では、多くの人たちは「キリスト教は西洋の宗教だから自分たちには関係がない」と考えているように感じました。キリスト教会、また宣教師のイメージが西洋人であり西洋的なものが強いということがあるのでしょう。これは日本でもよく耳にすることですので、私自身は意外な思いはしませんでした。

 宣教師イコール西洋人という見方は、A国でも日本でもいまだに根強くあるように思います。しかし、いまA国で一番人数が多い宣教師は韓国人とも聞きます。またキリスト教国ともいわれるフィリピンからも多くの宣教師がA国で活動しています。かつてのような宣教師イコール西洋人という時代は変わりつつあります。

 実際にA国では、韓国やフィリピン以外のアジア諸国から派遣されている宣教師にも出会うこともありました。一度お会いした中華系の宣教師は、A国に大勢いる中国の人達のための働きを中国の言葉でおこなっていると聞きました。そういうこともできる時代なのだなと驚いたことを覚えています。

 ある国の宣教に導かれた場合、その国へ直接出かけていき、その国の中で働きをしていくことが今までは多かったように思います。しかし現在、ある国の人たちを対象とする働きは、その国に直接行けなくても、母国でも他国でも行えますし、また様々な形を通して活動ができる時代になったということをA国での宣教の動きを見て知りました。

 今の時代の海外宣教は、以前のようにアメリカから日本へなど「ある特定の国からある特定の国へ宣教師が遣わされる」というような一方向だけでなく、「いろんな国からいろんな国へ宣教師を遣わし遣わされる」という双方向の動きがあるように思っています。これからも神の導きの中で日本から宣教師が世界各国に遣わされ、そして他国から日本へ宣教師が遣わされてくる。そのような時代なのだと思います。

 

2.教会に対する誤解

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 「教会に行ったら、英語を教えてくれますか?パソコンを教えてくれますか?」このような声も伝道の中でよく聞くことがありました。教会がまるで学校や教育団体のようにとらえられ誤解されているようでした。伝道のためにある近隣の村へ行くと、「お母さん!教会がお米を配りに来たよ」と子供が誤解して叫んだこともありました。多くの方々は教会をNGOなどの支援団体と混同されているような感じでした。

 A国では、社会的活動や貧困のための活動をしているキリスト教会が数多くあり、そのような教会の活動によって、一般的に教会が慈善団体のように見られているところがあります。それは「福音という種を蒔くために地を耕す」という意味では良い一面もあります。また、そのような教会の活動によって、キリスト教会がA国では比較的に良好なイメージをもたれていることは感謝なことです。

 しかしながら、教会の活動はそれがメインではありません。本当に大事なのは魂の救いであると私は信じています。ただそのような風潮の中で「英語教室、パソコン教室」などの「付随するもの」がなければ、教会には行きませんと、はっきり言われる方がとても多いのは残念に思いました。

 またキリスト教は貧しい人のための宗教でしょう。私には関係ありません。」との声を聞くこともありました。これも、多くの教会が貧富の差が激しいA国にあって、貧困者のための支援活動をしていることもあるように思います。そのような中にあって、一部の人たちからは、教会は貧しい人が行く場所であって、私が行く場所ではないと思われているようでした。

 「そうではありませんよ。教会は全ての人に扉が開かれています」とお伝えするのですが、このあまりに大きい貧富の差の現実の中で、最初から教会に足を向けようとしない人々がいることは残念に思いました。

 ある宣教師がA国で比較的裕福な人に福音をお伝えしたところ、このように言われたそうです。「聖書に書かれている福音を私は理解します。でも、もし信じてクリスチャンになったら私はA国で仕事をしていけないのです。」彼はその時は福音を受け入れることがなかったそうです。キリスト教に対する偏った見方、また「貧しい人のための宗教」と言われるA国で、日本とはまた違う現実を見た思いがしました。

 

3.どのように伝えていくか

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 ではA国という背景の中でどのように福音を伝えていくことが必要なのでしょうか。日本とはまた違う工夫が求められることがあります。A国の伝道の中でよく耳にする言葉がまだあります。「釈迦はキリストよりも早く生まれた。だから釈迦の方がキリストよりも優れている。」この言葉はよく聞きました。確かに歴史的に見ればその通りでしょう。そして、早く生まれた者(年長者)がより優れているというのは、東洋的な思考の影響もあるのかもしれません。

 以前にも書いたことがありますが、あるA国で働く宣教師はこのように言いました。「私は福音を伝える時に、まず創世記を用います。はじめにまことの神が存在しておられて、天地万物を造られたというメッセージがA国での福音宣教には必要です。」イエス・キリストは永遠の昔から存在しておられ、天地万物を造られた神であるという聖書の教えから、福音を伝えていくこともA国では大切なのです。

 またA国語では「神」に対してあるひとつの単語を使いますが、この単語は、A国では王様や僧侶に使われることもあり、人によっては自分の両親に使うこともあります。日本語では一般的に「神」という単語が人間に使われることはほとんどありませんが、A国語ではよくあることなのです。A国の人々がもともと抱いている「神」に対するイメージはどのようなものなのかを福音を伝える者は考えなければなりません。

 主に西洋の教会や宣教師から日本の教会やクリスチャンに伝えられてきた伝道の方法は、まず「神」がおられるということを前提にしての伝道方法のように思います。ある時フィリピンからA国に派遣されてきた宣教師と話すことがありましたが、フィリピンはキリスト教国(カトリック)で神観が根付いているため、フィリピンで福音を伝える時は唯一の「神」がおられることを前提に話すことができると。だから理解されやすいと。しかしA国ではそうではなく、まず「神」を正しく説明するのに時間がかかると。神はたくさんいるのではなく唯一のお方であり、人間を造られたお方という説明から丁寧にしないといけないと。その通りだなと思いました。

 日本の背景も似ているかとは思いますが、A国ではまず「神」という言葉から正しく教えていかなくてはならないのです。なぜなら先にも書いた通り「神」という言葉はA国では人間にも使われるからです。このことをひとつひとつ説明していくには時間もかかります。福音伝道には時間と忍耐が必要です。でも、正しく福音を伝えるためには必要な時間なのです。

 最後に伝道の中でよく言われた言葉をもう一つ。「全ての宗教は良いのだから、別にキリスト教にこだわらなくてもいいでしょう。」確かに多くの宗教には良い教えがあります。人生をいかに生きるかという教えとしては良いものです。多くの宗教は人を良い行いに導きます。しかし、良い教えと魂の救いは別です。良い教えから、そして良い行いからは罪からの救いはやってこない。救いはただ神からのみ。その変わらない聖書からのメッセージを、A国と言う文化や風習の土壌の中で工夫しながら伝えていかなければならないのです。

 海外宣教とは決して日本の宣教と異なるものではないのです。確かに環境や状況は日本とは異なりますが、現地でおこなっていることは日本と全く同じなのです。地道に一歩一歩福音を、そして場所が変わったとしても変わらない聖書のメッセージを、A国の状況の中でお伝えしていくことを心掛けました。

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宣記20【1期】現地の教会での説教

 A国語の勉強を続けながら、村の集会で毎週子供対象に聖書のお話を続けていました。そしてA国に渡って2年が経った2009年のこと、首都近郊にある教会から、夕拝で1回の説教をしてもらえませんかという依頼がありました。 

 それまでA国語で成人向けの説教をした経験はなく、初めてのことでした。もちろん何をするにしても初めての時というのは必ずあるのですが、A国語での初めての説教は記憶に強く残る奉仕となりました。

 

1.初めての説教

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 その頃よりも過去に話はさかのぼります。私にとって初めての日本語による礼拝説教奉仕は、関西にある教会でのことでした。当時就職をして働いていた勤務場所の近くにあって、定期的に出席していた教会でした。

 神学校に入学するために、仕事を退職して一旦出身地に戻ることになった時、出身地に戻る前に一度礼拝で説教をしてくださいとその教会の牧師からお話があった時は大変驚きました。まさに青天霹靂でしたが、その先生の励ましの中で、引き受けることとしました。初めての説教の準備にはかなりの時間をかけ、説教の数日前から緊張していたことを覚えています。

 その時の聖書からの説教は、神学校入学前でまだ聖書の知識にも乏しく、今から振り返っても赤面するような説教だったと思います。しかし、あれから25年以上経ちましたが、今でもあの時の初めての説教のことを思い出すのです。自分の働きの原点となる説教奉仕でした。

 なぜ昔の話をしたかと言いますと、2009年のA国語による初めての説教も、まさにその時と同じ体験をしたからです。

 私は原稿にないことを話すのが苦手なタイプなので、いつも日本語、A国語に関わらず説教の原稿は事前に全て書くようにしていますが、A国語による最初の説教ほど準備に時間がかかった説教もなかったと思います。まず日本語で説教原稿を全て記し、その原稿をA国語に一言一句翻訳します。そして、ようやく出来上がったA国語の説教原稿を、当日まで何度も何度も読んで練習します。説教当日を迎えるにつれて祈りの中にも緊張感が高まっていきます。

 そして緊張感に満ちた当日、以前村で子供に対して初めてA国語で聖書のお話をした時と同じように、頭が真っ白になるような思いでした。しかし、A国語で話を始めた時に、神様が聖書のみことばを用いて働いてくださいました。今から思い返しても、発音の間違いはたくさんありましたが、聞いて下さる方に大事なポイントはお伝えすることができたと思います。

 その時から今にいたるまで私が確信していることですが、私のつたないA国語による話や説明ではなく、聖書のみことばにこそ力があるということ。そして、みことばこそがその人を変えることができるということ。

 そのことを思う時に、言語習得には終わりがない努力が必要なのですが、一番大切なのは、聖書のみことばに混ぜ物することなく伝えるということだと日々働きの中で教えられたのでした。

 

2.毎週の説教奉仕

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 初めてA国語で説教をした教会から、数か月後に新たな奉仕の依頼がありました。その教会を始めたアメリカ人宣教師の帰国による不在の間、教会で毎週1回夕拝にて定期的な説教をしてほしいという内容でした。

 この説教奉仕の依頼を受けた時は、まだA言語の勉強を続けている時でしたので、自分にとっては荷が重い奉仕のようにも感じました。毎週村の集会で子供達相手に聖書のお話は続けてきましたが、成人向けに説教をすることはまだ経験が少なかったからです。

 しかし、その教会には宣教師の他にも現地人伝道者がおられたこと、基本的にはその伝道者の方が教会の責任を持ち、私はその現地人伝道者を手助けする役割であることを確認し、祈りのうちにその依頼を引き受けることとしました。

 基本的に、現地の教会から奉仕の依頼があれば喜んで引き受けたいと思っています。その務めのために遣わされているからです。しかし、宣教1期の時には、様々な葛藤の中でお断りしたこともありました。

 まだ1期の時は、言語習得に力を注いでいた時期でもあり、責任ある奉仕を果たせる言語力のレベルに達していなかったからです。お断りする決断というのは、正直心が痛いのですが、自分の言語力以上のものが求められる奉仕を引き受けて、もし自分の能力不足から責任を十分に果たせなかった場合、結果的に教会にもご迷惑をおかけするかもしれないと考えました。その時の自分自身がどこまでできるか・できないかという境界線のようなものを見極めて、判断することは大切であることを宣教地で学びました。

 しかしその上で、時に神様は私たちが持っている能力以上のものが求められる奉仕や働きに導かれることもあるのだと思います。神様が求められるのは能力ではなく信仰であって、たとえ能力に不安があったとしても、信仰をもって前進する時に、必要な力は与えられるのだと信じています。

 今までのA国における宣教の働きを時系列で振り返るならば、

1.渡航して語学の学び (2007~)

2.村での子供集会での奉仕 (2008~)

3.教会での説教のみの奉仕 (2009~)

4.教会を預かっての奉仕 (2012~)

5.新しい集まりの形成 (2013~)

 以上のように、階段を一歩ずつあがるように今まで歩んできました。事前に計画してこのようになったというよりも、神の導きの中で後から振り返ってみれば、結果的にこの順番になっていたと言う方が良いかもしれません。

 宣教師によっては一気に段階を飛び越えて進んでいく方もおられますが、私にとっては、一つ一つ階段をのぼるようにしてじっくりと段階的に進む方が結果的には良かったと思います。

 どのやり方が良い悪いということではなく、宣教師それぞれに与えられているもの、またそれぞれの個性、置かれている環境も異なりますので、それぞれに対する神の導きに従うことが求められているのだと思います。

 

 3.外国語での説教とは

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 外国語で説教を準備するのは大変ですか?と聞かれることがあります。日本語も外国語も説教の準備としておこなう内容に変わりはありません。しかし、準備にかかる時間がどうしても日本語のみの説教の倍近くはかかってしまいます。

 私は先にも書きました通り、いつも説教はすべて原稿に書いて準備します。最初は日本語で原稿を作成し、そして次に辞書を片手にA国語に翻訳していきます。日本語とA国語のニュアンスの違いで、ただ直訳するだけでは意味が通じないことがありますので、そのあたりは苦心しながら、伝わるように準備をする必要があります。最初は慣れない中で、それこそ神経が磨り減るような準備の時でした。

 日本でもそうですが、教会でおこなわれる説教では「キリスト教の専門用語」がよく使われます。一例として「義認」「導き」「みこころ」などがありますが、これらは一般的には使われない言葉で、クリスチャンでない方が耳にしたとしても理解しにくい言葉です。

 A国語にも、このようなキリスト教の教会用語、また聖書用語はありますが、これらの言葉を語学学校では習うことはまずありません。また一般の辞書にも出てきません。しかし、聖書を教える時に必要な聖書用語や教会用語はたくさんあります。それらの用語をどのようにして習得するかは頭を悩ませるところです。

 私の場合ですが、日本語の聖書とA国語の聖書をいつも見比べました。そしてA国語の聖書に出てくる単語の意味を、日本語の聖書の同じ箇所を見て汲み取っていきました。

 また、初期に現地説教者による説教を録音し何回も繰り返し聞きました。その中で、現地の説教者が使う用語や言い回しをメモに残していきました。1人の説教者のみですと、その説教者独特の言い回しがありますので、なるべく多くの説教者の現地語説教を聞きました。そして、この言い回しは分かりやすいと思うものがあれば、自分の説教でも使うようにしました。

 そのうち、単語や言い回しの「引き出し」が増えてくると、最初はぎこちなくても段々とスムーズに話せるようになっていきます。そのためにはやはり経験と積み重ねが大事なのでしょう。これは説教に限らず、他のことでも同じかと思います。

 外国語で説教をする時に、個人的に気をつけた点を以下に3つ記します。

①なるべく分かりやすい言葉を使う

 私のような外国人が説教をする場合、どうしても発音に難があったり、聞きづらいことがあるように思い、あえて難しい言葉や言い回しを用いないようにしました。その場にいる子供でも理解できるような言い回しを心掛けました。私の役割はなるべく簡単な言葉で、誰でも理解しやすい説教をすること、福音を語ることと割り切り、そのために力を注ぎました。

②なるべく視覚教材を用いる

 外国人として、言葉に関しては不足や限界があると考えていました。そのため、なるべく説教の中で視覚教材を用いることを心掛けました。時に、ホワイトボードを使って説教の聖句を書きだしました。またプリントを使ったり、いろんな小物を説教中の視覚教材として使い、足らない言葉を補う工夫をしました。

③現地の実情に応じて話す

 説教の中で使う例話など、現地の文化や生活、実情に即したものを用いるように心がけました。つい日本人としての価値観や様々な背景をもとに語ってしまいがちなのですが、日本とA国では、文化、習慣やタブー、価値観など多くのことが違います。なるべく現地の方々にとって適切でふさわしい例話、イメージしやすい例話などを使うようにしました。

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 ある時英語圏からA国に遣わされた宣教師から「語学を始めて半年たてばA国語で説教ができるようになりますよ」と伝えられたことがあります。しかし、私の場合なかなか現実が伴わずにつらい思いをしました。

 英語とA国語は文法が類似していることもあり、英語が母語の人にとっては、A国語は比較的に勉強しやすい言語かと思いますが、日本語を母語にしている私にとっては、文法がまるっきり異なるA国語を習得するのにかなりの時間を費やしました。結局、A国語で曲がりなりにも説教ができるまで2年かかったことになります。

 それぞれに一番良いペースがあります。「自分に与えられたペースでおこなっていくこと」「決してあせらないこと」が異文化の環境で継続的な働きをするために、特に大切なのだと思います。 

 

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宣記19【1期】宣教と危険について

 A国に遣わされてしばらくした時のこと、A国と隣国との間で国境紛争から軍事衝突が起きました。今までの人生で味わったことのない「きな臭さ」のようなものを肌で感じました。

 隣家の幼い子供が「戦争が始まるの?」と親に聞く声が耳に入りました。その時の軍事衝突は短期間で終わりましたが、外国にいる以上、いつ何が起こるか分からない状況があります。A国でも多くの宣教師が様々な事件や事故に現実に巻き込まれ、天に召された宣教師も何人もいます。

 海外での宣教の働きと様々な危険というものは、切っても切り離せない関係にあることをいつも心に留めています。

 

1.現実にある危険

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 宣教地での危険にはいろいろな種類があります。洪水などの自然災害、また窃盗や強盗、テロ、誘拐などの犯罪、交通事故、風土病などの病気など、数多くの危険が存在します。それは全部ではありませんが、母国でもあり得ることです。海外だから特別ということではありません。

 しかし、海外では言葉の問題もあり、また緊急時に対応する方法が母国と異なることがあります。何かの時に頼ることができる人も限られます。犯罪に巻き込まれた場合は致命的になる可能性が大きく、そのような意味では母国とはまた違う緊張感を感じることがよくあります。

 A国に関しては、私たちが遣わされる以前からA国で働いていた宣教師は、私たちよりも多くの危険に遭遇していたと思います。ある知人宣教師は入国してすぐに大規模な軍事衝突が起こり、市街で銃弾が飛び交う中、一旦母国に退避せざるを得ませんでした。またある宣教師は暴漢によって銃で撃たれたこともありました。

 その頃に比べると、国自体の治安も段々と良くなってきており、私たちは今まで銃による直接的な被害に出会ったことはありません。しかし、今なおニュースで銃を使った犯罪を見聞きすることは普通にあることです。水面下で銃は出回っています。  

 第1期では毎週村集会に参加していましたが、村から家族が待つ自宅へ帰るのは夜遅くとなりました。集会に同行していた現地の牧師からは、自宅に帰宅したら必ず電話で無事を連絡をしてほしいと頼まれていました。

 なぜ、そこまで心配されるのか最初は不思議に思っていましたが、ある時、現地牧師との会話の中で、かつて強盗事件に巻き込まれた時のことを明かしてくださいました。

 ある夜、突然強盗が自宅に侵入してきて発砲されたこと。強盗が撃った銃の弾が腹部に命中したが、一命をとりとめたこと。あれは神様の守りでしたと、お腹の傷も見せてくださいました。その話を聞いて、いつも村集会の後、外国人である私が夜にバイクで一人帰宅することを心配してくださっていた思いが理解できたのです。

 昔に比べて改善しつつあるとはいえ、当時A国の夜間の治安はまだ安心できないところもありました。A国の教会も、安全面からかつては夜に集会は行われていなかったようです。私はA国に滞在中、余程の用事がない限り、夜間に外出することは基本しませんでした。ここは日本ではなく、いつ何があるか分からない海外であることを、そして日々の生活の中での神の守りをいつも覚えさせられていました。

 その他、病気や事件など、実際に私が宣教地で直面してきた様々な危険については、またいつか個別の機会に書きたいと思います。

 

2.どのように考え対処するか

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 宣教地での危険に関して、どのように考えて対処すべきか、少し実際的な話になりますが、私が現地で考えてきたことの中でのいくつかを書ける範囲で以下に記します。

 

①大切な情報収集

 海外で大事なのは、正しい情報をいかに把握しているかということです。今はネット時代ですので、ネットで常に最新の情報を得ることができますが、もし国が有事となれば、ネットや電話の回線は治安維持のために切断されることもありますので、いろんな情報網を確保しておくことは大切です。

 長く現地に住んでいると、肌や直感的に危険を察知できるようになることもあります。直感的に危ないと思ったことは、なるべく避けるようにしています。しかし、それ以上に私が大事にしているのは、現地の方々からのアドバイスです。特に現地牧師や現地伝道者のアドバイスに信頼を置いています。もし何かを相談して、現地の牧師や伝道者からそれはやめたほうが良いというアドバイスがあれば、私はしないようにしています。

 数年前に、A国の中で不穏な政治状況になったことがありました。私はその時は地方の街に働きのために住んでいましたが、首都にいるベテラン牧師から注意喚起のメールが送られてきました。首都は緊迫感が高まっているので、不測の事態に備えた方が良いとの内容でした。私はそのメールを当初あまり重要視していませんでした。というのも、当時住んでいた地方の街に流れている空気は、首都のような緊迫感が全くなく、どこか他所事のように感じられたからです。

 しかし、しばらくしてその牧師が懸念していたような事態が起き、私は大変驚いたことを覚えています。現地にいる人たちのアドバイスや意見を、決して軽く見るべきでないのです。そのことを思い知らされました。

 繰り返しますが、海外で正確な情報を把握しておくことは大切です。ネット上にもたくさんの情報がありますが、それを正しく見極めることができるように、上からの知恵も必要です。

 

②危険をある程度想定しておく

 危険には2種類あります。それは「想定できる危険」と「想定できない危険」です。想定できないハプニングのような危険があります。それに対しては神様に全てをおゆだねするしかありません。しかし、事前にある程度想定できる危険もあります。それに対しては注意と警戒をすることにによって、危険な目に会うのを防ぐというのは正しいことだと思います。それは病気にかからないように事前にワクチンを打つのと同じことです。この2種類の危険を切り分けて考えることは大切です。

 具体的には、先にも書きましたが、夜間はなるべく外出しないようにしたり、当たり前のようですが、外でも家の中でも貴重品などを見える所に置かないなど気を付けています。以前日本の教会から来て下さった一人の青年がスマホを持って風景を撮影していた時に、後ろから来たバイクに乗った男性にスマホをひったくられそうになったことがありました。幸い未遂に終わりましたが、ひやっとしたことを覚えています。

 一時帰国などでしばらく家を空ける時にも、隣近所には伝えないようにしてほしいと大家さんから言われたことがあります。あの家は留守だと噂が流れると、不在中に泥棒が入るリスクが高まるからです。

 また、宣教地にて教会近隣への伝道はなるべく一人で行かないようにしています。現地のクリスチャンと2人以上で行きます。イエス様も弟子を2人ずつペアにして遣わされました。それも様々な意味で良いことなのだと思います。

 以前ある宣教師から聞いた言葉は印象的でした。「私はいつも最悪のケースを想定しています」と。起こり得る最悪のケースを想定していると、様々なハプニングなどにも落ち着いて対応することができます。それもひとつの知恵でしょう。

 今だから書けますが、宣教の最初の時期は「万が一の場合の覚え書き」を作成して、母国にて預かってもらっていました。海外で私に何か万が一のことが起こった場合に、どのようにしてほしいかを書き留めたものです。また宣教団体の中には、宣教師が誘拐された時にどのように対応するかを想定している団体もあると聞いたことがあります。実際にそのようなケースも世界には起こっているからです。

 大げさのように思えるかもしれませんが、様々なリスクを想定して行動するのは決して悪いことではないと私は思っています。

 

③神を信頼する

 しかし、結局のところ宣教地で一番大事なのは、起こる出来事を全てご支配しておられる神様に信頼するということです。現地でいろいろな危険やハプニングはありますが、神様は必ず全てを益にしてくださると私は信じています。どんな時にも神の保護のもとにあるというのは、何にも変えられない安心感があります。

 

3.宣教地からの退避について

 

 海外では予想しなかった事態の悪化などによって、一時的な退避が必要になることもあります。私たちは今まで「有事」などによって退避を検討したことはないのですが、最近でもある国ではクーデターなど政情の悪化により、命の危険の中で帰国せざるを得なくなった宣教師もいます。

 もちろん退避するという選択もある一方で、退避せずに宣教地に残るという選択をする宣教師もいます。かつてA国でのクーデター騒ぎの時にも、退避した宣教師もいれば、最後まで残った宣教師もいました。それには宣教師一人一人の事情や考え、家族のこと、ポリシーの違いがあり、またその渦中にいる者にしか分からない状況と判断があり、一概にどうこうと言えるものではありません。

 パウロも時には籠に乗って危険から逃れなければならない時もありました(使徒9:25)。また暗殺の危険を避けて行動する必要もありました(使徒20:3)。しかし、時には目の前に危険があり、多くの人たちから警告されながらも、構わずに前進する時もありました(使徒21:12-13)。同様に神様がそれぞれの状況の中で、一人一人をみこころのままに導かれ、それぞれに確信を与えられるのだと思います。

 退避というのは何も政情不安定などによるものだけではありません。時には、精神的な疲労や家族の問題などで、場所を移ることも必要な時もあるかと思います。

 私の知るある宣教師は、A国の地方で開拓の働きをしていましたが、やむを得ない事情の中で、その場所を離れ、しばらく心身の回復をはかった上で、違う場所へと移っていきました。それは家族のためにも良い判断だったと私は思います。

 これは私個人の思いですが、時と場合によって宣教地からの「退避」もしくは「移動」はあり得る判断だと思っています。もちろん、派遣教会と宣教団体の理解もあってのことですが。導かれた場所を喜んで離れる人はいないでしょう。しかし、危険が迫っていたり、個別の事情の中でそのような重い決断をしなければならなかった何組もの宣教師をA国で今まで見てきましたし、自分も彼らと同じ状況であれば、同じ決断をするだろうとも思うのです。

 それぞれが祈りとそして葛藤の中でなされた「退避」という重い決断の背後には、神のお許しと、その時には分からない何かのご計画があると私は信じています。

 

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宣記18【1期】現地の賛美を通して

  A国の教会に出席を始める中で、現地の教会で歌われている賛美歌の多くが今まで聞いたことのないメロディであることに改めて気づきました。最初は独特なメロディのように感じ、なかなか慣れなかったのですが、次第に自分の中でも懐かしく思えるようなメロディへと変化していったことを思い出します。

1.昔から伝わるメロディ

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  A国の教会でよく使われている賛美歌ですが、主に2つの部分に分かれています。ひとつは日本の教会でも馴染みの深いメロディの賛美歌が多い部分で、主にアメリカなど西洋の教会で生まれ伝えられてきたものです。

 そしてもうひとつの部分は、A国に昔から伝わる伝統的な曲の歌詞を聖書的な歌詞に変えて賛美歌としたものです。礼拝や集会でもよくこれらの賛美歌を歌います。

 日本に昔からあるメロディを賛美歌に取り入れて使用することはあまりない日本の教会とは対照的な感じがします。最初、A国の教会で聞きなれないメロディを耳にした時は不思議な思いがしましたが、これにはいろいろな理由があることを知りました。

 かつての一時代に学校教育が廃止されたA国では、その後も学校や教師が不足し、教育に問題を抱えていました。他にも様々な理由の中で、特に年配の方々で文字を読むことができない方々が多くいます。

 教会の近隣に住む方々へトラクト(チラシ)を渡して教会の案内をすることがありますが、特に年配の方々に「私は文字が読めないから、チラシはいらない」とよく言われたことがありました。

 教会に来られている方の中にも、賛美歌の文字を見ながら歌うことが難しい方がおられます。ましてA国の人たちには馴染みがない西洋発祥のメロディの曲を歌詞を見ずに歌うのは簡単ではありません。

 しかし、もしその国に昔からある伝統的なメロディだとしたらどうでしょうか。西洋のメロディよりも抵抗なく心にすっと入ってきます。そして歌詞が読めなくても、幼い時から親しんできたメロデイが自然に耳から入って口ずさむことができます。

 賛美歌は歌詞が大切なのですが、A国の教会で使っている伝統的なメロディ賛美歌の歌詞は、聖書の大事な教えが要約されたものとなっています。ですから、聖書が読めなくても、耳から入ってきた歌詞を覚えることで、自然と聖書の大切な教えが頭に残るように工夫されているのです。

 最初は聞きなれない現地のメロディでしたが、そのうちに聞きなれてくると、とても美しいメロディであることに気がつきました。今では、賛美歌の歌詞をA国語から日本語に訳し直して、日本でもA国のメロディで賛美したいと個人的に思うほどです。

(下に動画を貼り付けていますので、ぜひ一度A国の賛美歌をお聞きください。)

 

youtu.be

 

2.音楽クラスを始めて

 第2期の話になりますが、A国の地方の街でミッションを始めた当初、近隣の子供たちが教会に集まってきました。日本の教会、また知人から、鍵盤ハーモニカ数台や楽器の寄贈がありましたので、音楽に関心がある子供たちを対象に、音楽クラスを始めることとしました。

 A国のほとんどの小学校には、音楽の授業がありません。ですから、音楽クラスに集まる子供たちには音符の読み方、ドレミ、そしてリズムなどを一から教えることになりました。

 目標は教会学校で特別演奏をすることとしました。何人かは練習を頑張って、弾くことができるようになったのは嬉しいことでした。鍵盤ハーモニカは、電気を使わなくても音が出るので、便利な楽器のひとつです。というのも、少し前までこの国では、特に地方にいくと電気がない場所もあり、電気が必要な楽器を使うことができなかったという事情もあります。

 地方の多くの教会では、楽器が無いため全員アカペラで歌ったり、クラシックギターを用いたりしています。またA国の伝統的な楽器を使っているところもあるように聞きます。

 所変われば、いろんな賛美の仕方があります。その国の人々が、その国の楽器を用いて、その国のメロディを通して、その国のスタイルで賛美する賛美。神様はそのような賛美を喜んで受け取ってくださることと思います。

 


鍵盤ハーモニカ特別演奏

 

3.楽器の習得を通して

 A国に行ってからというもの、いつか伴奏のためにクラッシックギターを弾けるようになりたいと長らく思っていましたが、一から練習を始めてマスターするというのは思いのほかハードルが高く、なかなか手が伸びませんでした。

 やがて地方の街で子供達対象の教会学校を始めた時に、子供たちに賛美歌の歌い方を教えましたが、伴奏する楽器がないと歌いずらいように思いました。そこで、ギターよりも弦が少ないウクレレであれば、練習はしやすいのではと考え、伴奏のために四十の手習い。一からウクレレを始めてみました。

 周りに弾き方を教えてくれる方も、また参考にする本なども無かったのですが、今は動画サイトにて自習できる映像がたくさんあり、そのような映像を見ながら練習を繰り返しました。今は海外でも場所を選ばずに学べる便利な時代です。

 次第にコードを弾けるようになり、教会学校の子供たちとウクレレを使って一緒に歌うことができるようにまでなったのは良い思い出です。

 宣教の働きのためには、やはり楽器は何かできた方が良いなと今さらながらに思わされています。

 


教会学校賛美

 

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宣記17【1期】村の集会に行きはじめて

 現地の言葉の勉強が1年続き、必要最低限のコミュニケーションは段々と取れるようになっていきました。当時出席していた教会では、毎週約40キロ離れた村に出かけていき集会をおこなっていましたので、その村集会に私も定期的に参加することにしました。

1.村集会へ

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 集会がおこなわれていた村へは、荷台を座席に改造したトラックで、現地伝道者の数人と一緒に通いました。しばらくして、当時4歳の長女も私と一緒に毎週その村へ同行することになりました。途中未舗装の道やガタガタ道もあり、走行中に何度も体が椅子の上で飛び跳ねたことを覚えています。

 当時集会を行っていた村には、電気や水道、ガスなども全くありませんでした。生活水は大きなかめに雨水を貯めて、飲み水は井戸から、料理は炭でしていました。電気は車用バッテリーを蛍光灯や扇風機、テレビなどにつなげていました。(近くの市場にはそのためにバッテリーの充電屋さんもあります。)

  街にあるような娯楽も何もない村で、教会の集会が村の子供たちの楽しみのひとつだったようです。私たちが乗ったトラックが村に入ると、道々に子供たちが待っていて、荷台に乗り込んできます。

 同行していた伝道者が言いました。「村の子供たちはみんな車が珍しいから、乗りたいんだよ。同じ教会で働いている○○先生はね、小さい頃、送迎の車に乗りたいから、教会に来ていたんだ。」幼い時に送迎車に乗ることが楽しみで教会に来ていたひとりの子供は、今や伝道者になっているのです。いろんなきっかけがあるものです。

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 村の空き地を臨時の集会場にして、伝道者が賛美を歌い始めると、それを聞きつけて、どんどんと子供たちが集まってきます。皆で大声で賛美し、そして聖書のお話の後にするゲームが何よりも楽しそうでした。

 夜7時からも集会を行いますが、村には電気がないので周りは真っ暗。持参したバッテリーに蛍光灯をつなげて、ぼんやりとした灯りの中での集会ですが、それにも関わらず、大勢の子供たちがやってきて、最初は驚きました。

 ある日、子供たちの数が少ない時がありました。伝道者によると、農繁期は親の農作業の手伝いで来られないとのこと。またある晩の集会もいつもより出席者が少ないことがあり、不思議に思って近隣を見て回ると、ある家のテレビに多くの子供たちが群がってみていました。まるで昭和の光景だなと思ったものです。

2.初めてのお話

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 やがて、この村の集まりで聖書のお話を毎週してもらえませんかという依頼がありました。子供たちにお話しをするのは、言葉の習得のためにも良い機会だと思いますよと。現地の伝道者たちの温かい配慮でした。というのも成人の方々は、例え私のような外国人が発音や単語を間違って話しをしたとしても、多くの場合遠慮から間違いを指摘してくれることは少ないものです。この外国人は間違った言葉を話しているけれど、多分本当はこういうことを言いたいのだろうなと忖度してくれるのです。そして、段々と外国人特有の間違いに耳が慣れてしまうのです。

 しかし、子供たちは全く遠慮がありません。もし間違ったことを言ったら、相手が誰であろうとも「それ違うよ」とはっきり言います。手厳しいのですが、子供たちは、語学を学ぶ時には良い教師のような存在です。


村集会にて

 初めて聖書のお話をする日、私はとても緊張していました。今まで習ってきたA国語を使っての初めての奉仕です。事前に祈りながら何回も練習を繰り返しました。

 そして当日の村にて、集まってきた子供たちを前に現地の伝道者が言いました。「今日は日本から来た先生がお話をします。初めてのお話だから、言葉がうまくなくてもみんな笑わないでね。」聞く子供たちもいつもと違い硬い表情です。そしていざ子供たちの前に立つと、緊張のピークに達し、頭の中は真っ白になりました。何を話したのか覚えていないぐらいで、話が終わった後もほっとする一方、うまく話せなかったと落ち込んだことを覚えています。

 それからも、この村での毎週の奉仕は3年間ほど続きました。これ以降、何度も何度も子供たちに聖書のお話しをしたのですが、村の子供たちが長く覚えてくれていた聖書のお話は、私が一番最初に話したストーリーだったのです。緊張のあまり、発音も悪く、文法も滅茶苦茶だった最初のお話でしたが、そのお話を長く覚えてくれていたというのは、私にとって印象深いことでした。

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 例え言葉はつたなかったとしても、聖書のことばが語られる時に、神様が聞く者の心の中に届けてくださる。そして心に植えてくださる。

 現地語を用いた一番最初の奉仕を通じて、一番大事なことを神様は教えてくださったと思います。このことは、それからの働き全般の中での私の大事なモットーとなりました。

 実は、私は昔から子供を前にしてお話をするのは苦手なことのひとつでした。子供たちに定期的に聖書の話をするのは、この時が初めての経験だったのです。でもこれは後から振り返ってみると必要な経験でした。この時から数年後に地方へ引っ越して新しく集まりを始めることになりますが、まず近隣の子供を対象とした集まりから始めることになりました。そしてそこで毎週子供たちに聖書のストーリーを話すことになったのです。この村集会で3年間に渡って毎週現地語で苦労しながらお話をした経験が後に生かされることとなりました。神様はいつも後のために必要な経験や物事を、前もって与えてくださるお方です。

 

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