南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記16【1期】現地の教会に出席して

 渡航1年目は言葉を学びながら、首都にあるひとつの教会に出席を始めました。その教会はアメリカ人宣教師が1990年代の後半に始めた教会でした。最初はその教会のアメリカ人宣教師のアドバイスに従って、首都にある他のいくつかの教会を訪問して集会に出席し(事前にその教会の牧師の許可を頂いた上で)A国にある教会の様子を見て学ぶこととしました。
 宣教の最初にA国のいくつかの教会を訪問する機会が与えられたことは、それからの働きにとって良かったといえます。教会のスタイルにはそれぞれ違いがありますが、その国の教会ならではの共通点もあるからです。その共通点を最初に知ることができたのは有意義なことでした。かつての宣教視察の時にも色々と感じたことはありましたが、実際にA国での働きを始めて、A国の教会についてより見えてきたこともありました。

1.A国の教会に出席して

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 A国の教会はどの教会も朝が早いスケジュールであることが最初は驚きでした。日曜朝の8時から成人礼拝が始まる教会もあります。礼拝が終わるのは午前10時頃です。日本では今から礼拝が始まる時間に、全ての集会が終わって皆帰宅につくというのは、当初不思議な感じがしました。考えると、一年中真夏のA国では、昼前はかなり暑くなるため、涼しい早朝のうちに礼拝を行うのは理にかなっているとは思いました。

 子供や青年が教会に多いことも宣教視察の時から印象的なことでした。逆に言えば、壮年層はどの教会も少ない状況でした。かつて内戦の時代があったという現実もあり、この国の人口構成は、比較的に壮年層や高齢者は少なく、子供や青年層は多いという特徴があります。数年前ですが、人口の6割が30歳以下というデータを聞いたことがあります。今、日本の国は急速に少子高齢化が進んでいますが、全体的に青年が多いA国の教会の姿は日本から来た者として印象的でした。

 また教会に来て信仰をもったとしても、教会に定着しないことが多いということも実際によく目にしました。特に若い人たちは友人に誘われて教会に来ること自体にはあまり抵抗はないようで、その中で福音を聞き信仰をもつ人たちも多く起こされているようでした。A国の多くの教会では、信じる決心をするとすぐにバプテスマ式を行っていました。しかし残念ながら、そのように信仰をもちバプテスマも受けた人たちが教会に定着せずに離れてしまうケースがとても多いとのことでした。他の教会が魅力的に思えばすぐに移ってしまったり、教会に行くこと自体をやめてしまうことも頻繁にあるようでした。そして、このことは後に私自身が集まりを始める時にも、痛いほど経験することとになりました。

 宣教視察をテーマにした時にも同様のことを書きましたが、A国の多くの教会は、日本のような備品や機械はなく、週報もありません。ピアノや楽器もない教会は、アカペラで歌います。礼拝後の昼食もありません。ある教会はトタンの屋根だけで、壁もありません。スコールが降ると、トタンに打ち付ける激しい雨音で説教が聞きづらくなります。私が今まで慣れ親しんできたシステム化、組織化が進んでいる日本の教会と比べても、本当に「何もない」シンプルなスタイルの教会です。しかし、その中でも、現地のクリスチャンたちが教会に集まってきて、喜んで賛美をし、礼拝している姿に、何か礼拝の原点というものを感じることがありました。誤解しないで頂きたいのは、決してシステム化、組織化が悪いというわけではなく、人数が集まり教会を形成していくためにそれらは必要なことでしょう。しかし、いつの間にか見過されがちな原点のようなものを、改めてA国の教会で見た思いがしたのです。

 

2.ひとつの転換点

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 今までA国の教会を見続けてきた中で、A国の教会にとってひとつのターニングポイントがこの10数年間の中にあったように思っています。(これは客観的なデータに基づいてではなく、宣教地にあって肌で感じていることです。)それは政府からキリスト教会に対して活動の制限令が出された時で、私がA国に遣わされた2年後の出来事でした。

 他の宗教を公的に保護しているA国政府にとって、キリスト教会の国内での増加傾向は目にあまったようでした。それまでは比較的自由に教会が活動することが認められてきた中で、ある日突然政府から活動の制限がかけられたのですから、教会やクリスチャンが受けた衝撃は大きなものがありました。

 また、ある教会が一般向けに配布したトラクトの内容が、あまりに排他的であるとのことで、そのトラクトの配布を止めるように政府から圧力がかかったこともありました。それら一連の出来事を境目に、今まで享受してきた「信教の自由」というものが、決して当たり前ではないことを改めて思いました。

 そのような政府の強い姿勢は、国民の潜在意識にも大きな影響を与えたように感じています。政府が良くは思っていない宗教というレッテルがキリスト教会の上に貼られたこともあるのかもしれません。またその時期の著しい経済成長の中で、人々の心が内面的なものよりも、目に見える豊かさの方に奪われていったこともあるのかもしれません。

 私が現地の教会に出席を始めた頃は、特別の集会などを行った場合など、教会堂に入りきれないほどの多くの新来者が教会に足を向けていましたが、しばらくして起こったそれらの出来事を境にして、教会に新しく足を向ける人々が急に少なくなっていったように感じています。そして、その目に見えない潮流は今もなお続いているようにも思うのです。まるで戦後のリバイバル期から、今まで日本の教会が歩んできた歴史そのものをA国の教会にも見ているような気がしています。

 社会の中の大きな潮流や波というものは目には見えませんが、実際に存在して、人々の心に、また時には教会にも影響を与えることがあります。パウロがテモテに書き送った「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(Ⅱテモテ4:2)」の聖書のことばが心に迫ります。

 「時が良くても悪くても」クリスチャンに、そして教会に与えられている使命はA国でも日本でも変わらないのです。

 

3.日本の教会から遣わされた者として

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 現地の教会に出席を始めましたが、まだ言葉が流暢にできるわけでもありません。最初は賛美も説教も全然理解できず、教会に集う人たちと拙い現地語で話をするも、すぐ会話が続かなくなり、ただ出席しているだけで、何もできないということに思い悩む時がありました。

 そのような中である時、その教会のアメリカ人宣教師から話しかけられました。
この国の多くの教会が抱えている問題は何だと思いますか?

考えさせられる言葉でした。宣教師の話は続きます。

それは、ほとんどの教会は経済的にも自立が難しいということです。外国や宣教師からの支援に頼る状況が長く続いていて、なかなか自立できない。もう自立は難しいと、多くの宣教師はあきらめてしまっている。でもね…」

「あなたは日本の教会からこの国に遣わされてきていますよね。日本の多くの教会もかつて外国からの宣教師の働きによって始まったと聞いています。しかし日本の教会はいつまでも外国の教会に頼らなかったでしょう。日本人のクリスチャンたちで自立して、自分たちで教会を建て上げ、自分たちで教会を運営していますよね。そして、今や海外に宣教師を遣わしている。これは、この国の教会にとって目に見える良いモデルなのです。あなたの存在はこの教会にとって本当に感謝なのですよ。」

 その言葉を聞いて、心が熱くなる思いでした。私はまだ教会の中で何もできず、ただ出席することしかできていなかったのですが、それでも、日本人宣教師の存在そのものが、現地の教会で励ましのひとつになっているのだとしたら、どんなに感謝なことだろうか。そのアメリカ人宣教師の言葉は私にとって慰めでした。「doingではなくbeing」という言葉も聞いたことがありますが、自分が何をするから、何をしたからではなく、自分という存在そのものを神は用いられ、働かれることがあるのです。

 過去にデプテーションで教会を訪問した時に、ある先生から言われた一言がずっと心に残っていました。「神様はいろんな国の人をA国に遣わされている中で、あえて日本の教会から日本人であるあなたを遣わされるのだから、他国の人ではなく、日本人としてできることは必ずある。それを探しなさい。」

 以前にも宣教視察の時に感じた「日本人として遣わされる意義」について少し書く機会がありましたが、10年以上に渡って、いつもこの問いは自分の頭の中にありました。かつては被宣教国であった日本から遣わされた一人の日本人だからこそできることを探して、宣教地で行動しようと努めてきました。

 今までもそしてこれからも、A国への志が与えられ日本から遣わされていた一人として、神様が遣わされた理由を探っていければと思っています。

 

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