南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記34【2期】新しい集会所へ

  2013年からB市にある自宅の一部を開放して勉強クラブや日曜学校を行っていましたが、人数も増えつつある中で、様々な面で限界を感じ、自宅以外の場所で集会や活動をすることができればとの思いが生じてきました。祈りつつ新しい集会所探しが始まりました。

1.使われていない教会堂

 宅探しの時のように、一刻も早く見つけなければ寝る場所もないということはありませんでしたので、市内の各地区を時間をかけながら集会ができる場所を探していきました。またいろんな情報を集めましたが、その中で、現在使われていない閉鎖されている教会堂が市内にいくつもあることを知りました。

 A国では宣教師が教会を開拓するときに、大きく分けて2つの方法があります。1つ目はまず開拓を始める前に宣教師が土地を購入し、先に自分たちの教会堂を建てる方法です。その後で、伝道を開始して集まりを形成していきます。そして2つ目は会堂先行ではなく、宣教師の自宅やどなたかの家、また借りている場所にて、まず集まりを形成する方法です。A国でよく耳にするハウスチャーチ(家の教会)もそうでしょう。集まりが大きくなってきた段階で、必要があれば土地を購入し、そして会堂を建設しますが、会堂が絶対必要とは考えません。「会堂先行」か「集まり先行」かの違いです。

 当初私は2の方法(集まり先行)しか頭になかったのですが、A国現地では1の方法(会堂先行)を取る宣教師も多かったように思います。もちろん「教会」とは建物や会堂ではなく集まりのことを指しますが、地域や場所によっては会堂があることによってそのコミュニティに安心感を与えることもあるようです。

 日本でも地域によっては、会堂があることによって、その教会は地域から信頼されやすいと聞いたことがあります。目に見える会堂の存在が先にあることによって、一から伝道しやすいということもあるかもしれません。教会が置かれているそれぞれの地域の実情によって、何をすることがより良いのかを考える必要があります。

 しかし、私がA国で見たのは、そのように先行して建てられたであろういくつかの会堂が、その後様々な理由で集まりも無くなり、鍵がかけられたまま長年に渡って放置されているという現実でした。その現実を見て、いろいろと考えさせられました。

 私の知人の現地牧師は、地方の村で働きをしていましたが、ある時、別の教会の関係者から声をかけられたそうです。話によると、かつてその村には教会があったのだが、今は牧師もおらず、集まる人もいない。会堂もあるのだが、使われないまま放置されていると。ぜひその会堂を、使ってくれないかとのことでした。

 知人牧師はその話を受けて、これも神の導きと、その使われていない教会堂を使用することにしました。そしてそこで全く新しい集まりを始めたのです。そうしたら、村の子供たちや青年も多く集まってきました。まるで教会堂が再び息を吹き返したようでした。そのようなこともあるのだなと思ったことを覚えています。

2.新しい集会所

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 のような中で集会所探しを続けていましたが、ある地区を通った時に、ひとつの貸家が目に入りました。(▲写真は借りる前の状態)

 一見、その建物は私が想定していたよりも少し大きい建物のように思いました。しかし、今から振り返って思うのですが、最初は想定とは違っていても、神様が備えていてくださるものは、最終的にはちょうど良いものであるということを経験しました。それこそがまさに主の備えなのです。

 この地区は、私の知る限りはキリスト教会のない地区でした。それは私の一番求めていたことでした。市場も近く、人の動きもある場所でした。協力関係にあった教会の牧師にもアドバイスを求めました。牧師は現地を見て、声を弾ませて言いました。「ここはいいですよ。もし私が場所を探すなら、ここにします。」その声も参考にしつつ、祈りの中で最終的にその場所を借りることとしました。

 A国のほとんどの家には、祠(ほこら)が置かれています。これは仏教からというよりも精霊信仰、アニミズムから来ているようです。家の守り神のようなイメージなのでしょう。A国の宗教はほぼ仏教のように思われていますが、実はいろんなものに対する信仰、習俗などが混合されているところがあります。中華系の家では、神棚のようなものも床に置かれ拝まれています。多くの人々は詳しい意味も分からずに、代々引き継がれているものを崇拝しています。

 新しく借りた場所にも、大きな祠がありましたので、大家さんにお願いして、祠を引き取ってもらいました。A国では家主が変わる時に、祠も新調することもあり、古い祠や神棚はそのまま捨てられることも多いとのこと。今まで拝まれてきたものが、そのままごみ捨て場に無造作に捨てられている(▼写真)という印象深い光景も何度も現地で見たことがあります。

 

3.活動の開始

  しい場所の契約も済み、早速汚れていた部屋を皆で掃除をして準備をし、新しい場所での活動を開始しました。今まで自宅の一角で行ってきた「勉強クラブ」をこの場所でも新しく始めました。新しい場所の近隣の方々とも、まず信頼関係を構築することがこれからの働きのために大事と思ったからです。

 「勉強クラブ」から「日曜学校」へとこの場所でもつながっていきました。今まで教会がなかった地区で、新しく集会が始まり、そして讃美歌の歌声が建物に響き渡るのは感無量の思いでした。

 

 その後も近隣の方々と出会い、いろんな話をする中で、今回新しく集会のために借りた建物には、以前欧米人らしき人物が住んでいたと聞きました。どうやらクリスチャンのようだったと。まずその方の存在があって、次に私たちがその場所に入ったというのは、不思議な神様の導きのように思えました。

 

 A国のコミュニティにとって、外国人が新たにコミュニティの中に入るというのは、最初かなり警戒されます。特に外国人慣れしていない場所はなおさらです。しかし、私たちの前に住んでいた西洋人の方が、近隣の方々に良い種を蒔いていたことにより、私たちは比較的スムーズにそのコミュニティに入っていくことができたのだと思います。(▲写真は集会所周辺の様子)

 

 私はその建物を借りる時には、そのいきさつを全く知らなかったのですが、そのように後から気づかされて、神様のご計画の緻密さを改めて想い、感謝するということは宣教の働きの中でよくありました。

(▲集会所として使っていた頃の写真)

 

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