南の国の風と共に

南の国の教会で働いているミッショナリーのメモ

宣記26【1期】牧師不在の教会での奉仕

 1年間の帰国日程を終え、2012年にA国に戻りました。当初はA国に戻った後、地方の街へ新しく集まりを始まるためにすぐに引っ越す思いがありましたが、かつて出席していた首都近郊にある教会の開拓宣教師(牧師)が1年近く母国に戻られるとのことで、不在の間教会をあずかってほしいとの要請があり、祈りのうちにその働きを引き受けることとしました。地方に行く前にもう1年間首都に留まって奉仕をすることになりました。

1.一度は去った母国に戻った宣教師

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 その教会はC教会といいますが、教会を始めたのはA国人の宣教師でした。かつて大虐殺があった時代に、命からがら歩いて国境を越え、隣国に脱出したのです。そして難民としてアメリカに渡り、その後、アメリカの教会で福音を聞いて信仰を持たれました。そして今度は宣教師としてアメリカの教会から派遣され、ご自分の母国であるA国に戻り、首都近郊にてC教会を開拓し牧師として働いておられました。

 「本当は私はこの国に帰ってくるつもりはなかったんだよ…。」ある日ぽつりと言われていた言葉がとても心に残っています。かつての大殺戮の時代を経験したトラウマがあるのかもしれません。それでも家族を連れてA国に戻ってきたのは、ただ神の召しと導きがあってのこと。

 以前その宣教師は説教の中でこう語っておられました。「私は両親も兄弟も大虐殺の時に、兵士によって殺されました。アメリカに渡った後によく聞かれました。『もし今、あなたの両親を殺した奴が目の前にいたらどうするか?』『復讐したくないか?』と。でも、今ならこう答えます。ローマ書に書いている通りに『復讐は神がなさることです。神の怒りに任せます』と。」

 私はその宣教師が抱えておられる思いの深さの全てを思いはかることはできません。心の中の奥深くの悲しみや抱え続けている様々な感情の全てを思い知ることはできません。ただ、聖書にはその箇所の前後に、このように書かれています。

「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。・・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12章)」

 この聖書のことばは、かつて大虐殺の時代を経験したA国の人々にとって私たちの想像以上に重いことばなのだと思わされるのです。

 

2.毎週の説教奉仕

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 開拓宣教師がアメリカに戻られて、毎日曜3回の説教奉仕が始まりました。以前、F教会にて奉仕した時は毎週1回の説教で、しかも現地伝道者が責任者として教会におられましたから、私はただ説教奉仕に集中すればよかったのですが、今回の奉仕は、その時よりも責任がかなり増えました。

 毎週3回の説教の準備は、平日のかなりの時間を費やしました。この国の多くの教会で好まれて使われている聖書は、かなり前に翻訳されたもので、言葉使いが古く、特に若い人たちは聞いても理解しにくいという話を聞きます。(日本語の文語体をイメージして頂いたらよいかもしれません。)

 また神様に対して用いる言葉で、日本語は敬語を用いるように、A国語では「王様用語」を使います。「食べる」という言葉ひとつでも、日本語では「食べる」「頂く」「召しあがる」などいろんな表現がありますが、A国語も同様に、一般人、丁寧語、お坊さん、王様など対象によってたくさんの「食べる」表現があります。A国語聖書では神様に対して使う「王様用語」も、一般的にはあまり用いない難しい言葉で、特に教会学校などの子供たちには理解しにくいことがあります。難しい単語をいかに分かるようにかみ砕いて話すかが、外国人説教者の頭を悩ませるところです。

 聖書の学びの時に「試練」という言葉を用いて、この言葉が分かりますかと聞いたら、分かりませんと返ってきました。その場合、「試練」という言葉を使わずに、他の言葉を用いて説明しなくてはなりません。また、「新生」の話をしたときに「それは転生のことですか?」と返されたこともありました。仏教の輪廻転生の考えと混同しているようでした。この場合も、新生の教えを学びを通して、また説教を通して正しく伝えなくてはなりません。

 10年近くの働きの中で「信じる」という言葉にも、配慮が必要なことが段々と経験の中で分かってきました。A国語の「信じる」という言葉には、時々人によっては「認める」というニュアンスでとらえられていることもあるように感じています。つまり、目の前の方に福音をお伝えして「あなたはこのことを信じますか?」と言ったつもりが、ある方からすると「このことを認めますか?」というニュアンスで伝わることもあり得るということです。

 「認める」と「信じる」は日本語では意味が違いますが、A国語では大きな違いではないようです。片や「この人は神を信じた」と言い、片や「いや認めたが、信じてはいない」と。同じ言葉だったとしても理解に違いが生じてしまうのです。これは問題です。

 この問題を避けるために、私は「信じますか」だけでなく「信じ受け入れますか?」という言葉を伝道や説教の中で用いるようになりました。少しでも誤解を防ぐために、よりよく意味が通じるように、外国語を使う説教者にとっては言葉の失敗や誤解が起こることは避けられませんが、それらを繰り返さないためにも努力が欠かせません。

 

3.任せられた奉仕が終わって

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 約9か月に渡った牧師(宣教師)不在の教会をお預かりしての奉仕は終わろうとしていました。毎週3回の説教奉仕は、準備が大変でしたが、この準備の中でも多くのことを学び、また祝福を頂くことができました。

 最初、教会をお預かりした時に心がけ、またC教会の皆さんにもお伝えしたことは、当たり前のことですが「自分はこの教会の牧師ではない」ということでした。そして、自分自身のスタイルを教会の中で出さないよう努めました。私が責任もってその教会で奉仕をするのは一時に過ぎず、またいずれその教会の牧師が帰任される訳ですから、牧師のスタイルが自分のスタイルと異なる場合は、自分の確信とは異なっても、牧師のスタイルに合わせるようにしました。

 宣教師(牧師)がアメリカから戻ってこられ、私の奉仕最後の日、教会では集会の後に皆さんが様々な形で感謝を示してくださいました。本当に感謝であふれた慰められた時でした。ある男性からは、A国語の新しい聖書を頂きました。彼にとって新しい聖書を購入するというのは、経済的にも大きな犠牲でした。でも、真新しい聖書と共にその気持ちを嬉しく受け取りました。その聖書は、今でも現地での説教で用いています。

 以前、宣教師は現地の教会の方々によっても、育てられると書きました。聖書には「互いに」という言葉が何度も出てきます。宣教師と教会、また外国人と現地の方々は、決して上下のような関係ではなく、互いに仕えあう。そのことを私は現地の教会の奉仕で学びました。

 宣教第1期(2007年~2012年)は首都の教会での働きでしたが、現地で多くのことを学ばされ、また経験をすることができました。それは地方に行って新しい集まりを始める第2期に確かにつながるものとなりました。全ての出来事や経験は決してむだではなく、益へと変えてくださる神様に感謝します。

 ※宣教第1期の記事は今回で終わりです。次回からは地方へ移っての第2期に入ります。

 

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宣記25【1期】1年間の帰国

  2007年にA国に渡り、言葉の勉強、また教会での奉仕の中で、あっという間に月日が過ぎ去ろうとしていました。渡航から丸4年が経過した2011年を一区切りとして、日本に1年間帰国をし、祈りと支援をしてくださった教会を巡回して宣教活動の報告をすることとしました。

1.休息と逆カルチャーショック

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 ある方から、海外で働く宣教師のまとまった期間の帰国には、主に3つの目的があると教えられました。1つ目は母国での休息。2つ目は支援してくださっている教会を訪問しての宣教報告。3つ目は海外での働きの中で自分たちに不足していると思うことを、母国で補うことです。

 母国を離れて海外や異文化の国で生活をする時に、生活初期の段階で「カルチャーショック」を受けることがあります。母国ではこういうやり方なのに、なぜこの国やこの場所ではこうなのだと比較をして怒りや悲しみの感情が出てきたり、受け入れられない思いが出てきたりするのです。

 人によってかかる時間は違いますが、徐々にその環境に適応するにつれて、様々な違いを自分なりに受容できるようになってきます。そうすれば外国や異文化の中でも落ち着いて生活できるようになります。

 しかし今度は母国にまとまった期間戻る時に、大なり小なり「逆カルチャーショック」を体験することがあるのです。「なぜ母国はこうなのだ」と。今度は自分が滞在していた国の良かった面と、母国のそうでない面の違いが気になりはじめるのです。

 宣教師も特に第1期が終わっての帰国時には注意しないといけないとある文面で学びました。海外で数年過ごし、特に第1期は海外の文化や教会になんとかして必死に溶け込もうとしているだけに、かなりの精神的緊張状態の中にあるといえます。宣教師にとって最も困難とも言われているのが第1期です。その時期を過ごした反動ともいえるかもしれませんが、母国に帰ってくると、母国の様々な現状にショックを受けてしまうことがあるのです。今から当時のことを振り返るならば、このような「逆カルチャーショック」があるということも前もって知る必要があったと自分の体験からも反省しつつ、教えられています。

 日本のやり方、海外のやり方、それぞれに違いがあり、それぞれに良いところ、そしてそれぞれに課題があることを切り分けて、冷静に見られるようになれば、時間はかかることがあったとしても、これらのカルチャーショック症状を乗り越えることができることでしょう。

 そのような意味でも、異文化の中で知らず知らずのうちに疲弊している心と体を定期的に休ませることは大切なのだと思います。ある国の宣教団体は、数年働いた宣教師が母国に帰国した場合、最初の1か月は何も予定を入れずに休ませるようにしていると聞いたことがあります。心や体の疲労というものは限度を過ぎると感覚が麻痺し、感じなくなってしまいます。そのまま突っ走ると、突然折れてしまうこともあり得ます。そうなる前に宣教地で適切な休息をとることも必要ですが、言葉が通じる母国でしか味わうことのできない休息もあるのです。

 心と体の休息、また霊的な面での充電も必要かもしれません。そして健康チェックはまとまった期間の帰国の中で大切なことです。1年間の帰国は、日本での住まいをどうするか、また生活をどうするか、子供の教育をどうするかなどの課題もあるのですが、腰を据えて様々なことを考え直し、再度の海外への派遣に備える良い機会だと思います。

 

2.宣教報告

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 2011年は帰国して早々に大きな地震があり、様々な面で日本中が揺れた年でした。地震によって大きな被害を受けた場所、また人々のために祈らされました。そのような中でしたが、2011年の約1年間に渡り、私たちの働きを祈り、支援してくださった全国の教会を再度訪問し、宣教の報告をする機会が与えられました。

 「これからA国の働きのために祈ります」という声を頂くデプテーション、そして再訪問の時の「祈っていましたよ」という教会の方々の声にどれほど励まされたでしょうか。パウロがそうであったように、務めを委託されて宣教地に遣わされている者として、その派遣元に戻り、宣教地にて神様がなされたことを母国の教会の方々に報告をするというのは大事なことだと思わされています。今の時代は直接訪問して報告する以外にもメール、SNSやネットにて、現地にいてもリアルタイムで現状を母国の方々に報告できる便利な時代になりました。

 思い起こすならば2013年、A国の地方に住み始めた年に洪水が発生しました。その時にはすぐに日本の諸教会にメールで祈りのお願いをしました。「教会の皆で祈りました」というお返事をすぐに頂いたことが、自宅近辺で腰ぐらいまでの水が押し寄せ、1週間近くも外出できない中でどれほど力強く思ったことでしょう。結果的に自宅はあと数センチぎりぎりの所で床上浸水からは守られ、神様に感謝しました。リアルタイムで情報が伝えられる時代であることをその出来事を通しても実感しました。

 現在はそのような情報伝達には便利な時代ですし、またコロナ禍によってリモートでの報告の機会も増えましたが、やはり直接顔と顔を合わせてお話しするということに勝るものはないと思います。またいつかコロナが落ち着いて、直接教会に訪問できる日が来ることを待ち遠しく思います。

 

3.不足しているものを補うこと

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 1年間帰国した2011年は、長女は小学校1年生になり、また長男は幼稚園の年少組になる年でした。それぞれ数年間海外で暮らし、海外生活の方が日本よりも期間が長くなっていました。文化や風習も違う中で、子供たちも日本での生活に当初戸惑うこともあったと思いますが、長女も長男もそれぞれ日本の学校や幼稚園に1年間通うことができたことは、今までの日本語経験の不足を補うという面でも本当に良い時だったと思います。

 海外で子供が育つと、母語の問題、また子供自身のアイデンティティがはっきりしなくなることも多いと耳にしたことがあります。日本人でもなく、A国人でもない、自分はいったい何人なのだろうかという悩みです。最近はサードカルチャーキッズという言葉も生まれ、この問題が提起されてきています。私たちに関して言えば、この2011年の1年間というまとまった期間の帰国は、子供なりに自らのアイデンティティというものを、日本語という母語も含めてある程度確立していくための助けになったのではないかと考えています。1年間、毎日楽しそうに学校に通っていた姿が印象的でした。

 思い返すと、2011年は今までの歩みの中で、1年間日本に帰国をした唯一の年となりました。これ以降、宣教第2期はA国の地方で集まりを新しく始めたこともあり、その働きを放置して長期間帰国をする訳にもいかず、1年間というまとまった期間の帰国は難しくなりました。

 そのような中で、私たちは現地の働きの実情に応じて、また現地で特に第2期は海外でホームスクールを始めたこともあり、子供たちの日本語教育の補完のためにも、派遣教会と宣教団体の理解のもと、2011年以降は1年単位で短期の帰国を繰り返すこととなりました。

 コロナ禍の今では短期の帰国は考えにくいことですが、当時子供たちにとっては例え短い期間であったとしても帰国でき、日本という環境や日本語に直接触れることができたことは、長い目で見て良かったと思っています。

 

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宣記24【1期】地方へのビジョン

 2007年4月にA国に渡り、現地語の学びからスタートしましたが、一度A国の地方の様子も見てみたいという思いの中で、その年の7月に首都から300キロ離れたある地方のB市に行く機会がありました。その時は何かの理由があってその街を選んで行ったわけではないのですが、その街への訪問は、後の働きにつながる布石となりました。

1.地方への思い

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 渡航少なくとも1年間は首都にて言葉の学びに専念し、首都にある教会で何年か奉仕をした後、A国の中のどこかの場所で、新しく集まりを始める働きができたらという願いがありました。首都には既に教会がいくつもありましたので、どちらかといえば私の心、そして思いは次第に地方の街の方へと向いていきました。

 それがもし神が導いておられることならば、行くべき場所を悟れるように祈っている中で、2007年の7月に一度訪問した地方B市の光景が頭から離れませんでした。やがてB市に対して特別な思いを抱くようになりました。

 しかし、首都を離れてA国の地方の街に家族で一緒に住むというのは、困難や課題がたくさんあるように思われました。地方の街には首都とは違い、生活に便利なスーパーマーケットや総合病院などはほとんどありません。何か大きな病気をしたときには、首都もしくは離れた別の大きな街まで行かなくてはなりません。決断には時間を要しました。

 2007年に日本からA国に渡った時も、私にとっては聖書のヨシュア記に登場するヨルダン川をまるで渡るような思いでの渡航でした。かつてA国に行くことを決心した際、その決心の先にあるものは何も見えませんでした。見た目には不可能にも思えました。しかし、神様を信頼して一歩を踏み出した時に、神様は実際にA国にまで私たち家族を連れてきてくださったことを思い出します。

 そして今、自分の目の前に大きな川がもう一度現れたような思いでした。何度も何度も信仰を要するチャレンジが目の前に登場する。ひとつの川を神の助けによって越えたら、また川が現れる。その繰り返し。それが信仰によって歩む人生なのだと思わされます。

 普通に考えますと、A国で地方の街に幼い子供を連れて引っ越しをし住むことは、色々なリスクがあることでした。実際にA国の人にもそのことを心配されました。しかし、もしこのビジョン、そして志が神から来ているのであれば、信仰もって一歩踏み出す時に、ヨシュア記にあるヨルダン川の出来事のように必ず道は開かれると信じました。そうして祈りのうちに、いずれ首都を離れ地方のB市に移住して、新しい集まりを始める働きを行う決断をしました。

 後に、首都での働きを終えて、実際にB市に引っ越すことになったのは2013年でしたから、ビジョンが現実のものとなるには、初めてB市を訪問した2007年から実に6年間も経っていました。しかし、神が与えてくださったビジョンは、時間がかかっても実現するということを、目に見える形を通して教えられました。

 私がこのB市に行くことを決断した時に、ほとんど知っている人はこのB市にはいませんでした。住む家も決まっていませんでした。どのような働きをするのかも具体的には見えていませんでした。しかし、今の時点から過去を振り返ってみるなら、確かに神様は私たちをこのB市という場所へ導いてくださったことをはっきりと見ることができます。

 家探しは難航しましたが、神様は与えてくださいました。この地でなすべきことも神様は教えてくださいました。そして、協力して働く方々も、神様は備えていてくださいました。

 はじめの一歩を踏み出す時は、これらのものは何も見えていませんでした。足を踏み出す時には信仰と神への信頼が必要でした。しかし、一歩を踏み出す前ではなく踏み出した後に、全て必要なものを神様は備え与えてくださったのです。

 

2.導きを確信するために

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 神様が心の中に何かの志や新しいビジョンを与えて下さったときに、それが自分の思いから来ているのか、それとも神から来ているのか、それが本当に神様が望まれていることなのかどうかを判断し確信するのは、時に時間がかかることですし、時に不安の中でも前に進んで行かなければならない時もあり、進む中で確信が深まっていくこともあるのだと思います。

 私にとっては、首都からB市に働きの拠点を移すことが、本当に神の導きなのだろうか。また、その後2019年には、そのB市での働きを終えて、再度首都に戻ることになりますが、それは神のみこころに沿っているのだろうか、大変悩みました。他にも宣教の働きの中で大きな選択を迫られることがありましたが、何か大きな決断をする時には、考える時間が与えられている中で、時間をかけて祈り、聖書のことばを心に留めつつ、様々な可能性を紙に書きだして熟考しました。そして夫婦で話し合いました。

 みことばと祈りを通して、ご聖霊は確信を与えてくだいますが、何かを決断する際に、遣わされている者の一人として行った他のいくつかのことを以下に記します。(これらは私個人としての様々な体験から書いています。)

 

①派遣教会と相談

 宣教師は母国にある派遣教会から宣教地に遣わされた者であって、基本的に派遣教会の方針から離れて活動をすることはありません。大きな決断、また宣教の働きを左右するような選択をしなければならないときには、まず派遣教会の牧師、教会の役員会にも相談し、派遣教会としても平安がある決断ができるように祈って頂きました。派遣教会から祈られているというのは、大きな力ともなりました。(もし宣教団体とのつながりが深い場合は、団体と相談することもまた必要でしょう。)

 

②他の宣教師に相談

 A国で働いている知人のベテラン宣教師にも様々なことを相談しました。A国で長い経験を持っておられる宣教師の客観的な視野からのアドバイスはとても貴重なものでした。

 ある宣教師はこう言います。「A国では4月に大きな決断はしない方がよい。」A国で4月は気温が40度を超えるほどの一番暑い時期で、頭も身体も暑さで疲れ弱る中で、集中して何かをするのは難しい時期です。そのような時期に、今後の働きを左右するような大きな決断はしない方がよいという勧めでした。バランスの取れた決断は、熱い心と冷静な視点の両面から来るものだと思います。

 

③今までの歩みや導きを振り返る

 神様は、いきなり突拍子もないような方向へと導かれるお方というよりも、段階的にある方向へと導いてくださるお方だと思います。(もちろん神様がなされることは人間の思いをはるかに超えることもありますが。)

 もし将来的に神様が何かの方向に導かれているならば、その方向性は、今まで導きの中で歩んできた道と大きくかけ離れていたり、大きく矛盾したりするということは少ないのではと私は思っています。

 神様は将来進むべき道のために、何か布石のようなものを今までの過去の歩みの上に置いておられることがあるかもしれません。(私の体験では、B市への移住を決断する際には、なぜか私の周りにいる知人の中で、B市出身の方々に出会う機会が多かった気がします。)

 

④神におゆだねし、自分自身がより平安がある方向に進む決断をする

 主に祈り、主を信頼して、その上でもし誤った決断をするならば、神様はそのことをその人に示され、その門を閉じることもおできになる。主に信頼を寄せる者が、間違った決断のまま進んでいくことを、神様はそのままほったらかしにはされないと私は信じています。

 時間をかけて祈る時に、だいたい選択肢は絞られていくのですが、その上で最終的に選択や決断が迫られる時には、神を信頼しつつ自分自身がより平安がある方向に進むこととしました。私は「石橋を叩いて渡る」性格で、なかなかすぐには決断がしにくい者です。実際、宣教の働きというものは決断の連続なのですが、神様は様々なことを通して、いつも良い決断へと導き、そして背中を押して新たな一歩を踏み出すことを助けてくださるお方であると私は信頼しています。そして、決断して一歩を踏み出す時に、神様は確かに道を開いてくださることを何度も経験してきました。

 私たちが後に働きのためにB市に引っ越しをしようとした時、その街で住む家を探すことは困難を極めました。不動産屋などもない場所で、バイクを借りて地道に「貸家」の張り紙がある家をB市の街中探してまわりました。1週間が近づいても、なお住居が見つからず失望しかけていた時に、ある知人宣教師が以前こう言っていたのを思い出しました。「あなたがその場所に行くことが神のみこころならば、必ず家は与えられますよ。」この言葉は、本当に私を励ましてくれました。

 そして、その通り、1週間かかりましたが、ようやくここが神様の備えだと確信できる場所が見つかったのです。神様ははっきりとこの場所で働きの門を開いてくださったことを確信した瞬間でした。神は環境や状況の中でも働かれ、時に疑ってしまうような者の確信を様々なことを通して強めてくださるのです。

 

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。(ピリピ2:13)

 

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宣記23【1期】1年間奉仕した教会にて

  2009年秋より、首都近郊にある教会(F教会)にて、アメリカ人宣教師が母国へ帰国している間、毎週の夕拝での説教を任せられました。奉仕を始めてから約1年を迎えた2010年に宣教師がアメリカからA国へ戻ってこられ、F教会にて任せられていた務めを終えました。

 途中、病気を患ったり、いろんな出来事がありましたが、無事に責任を果たし終えることができ安堵の思いで一杯でした。

 最初は慣れない現地語の説教の中で、自分の伝えたい思いをなかなかA国語で伝えられない、また相手に伝わらないというのは大きなストレスでした。まるで気持ちが空回りしているようでした。完全に自分の力不足でした。

 毎週のA国語による説教準備も大変でしたが、この経験は数年後にまた別の教会での奉仕につながることになりました。一歩一歩と階段を昇るように、必要な奉仕や働きへと神は導いてくださったのです。

1.伝わらない説教

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 「最初、先生の説教は、何を言っているのか全然分かりませんでした。でも、先生が熱心に話している姿を見て励まされました。」 

 最後の説教の日、約1年間奉仕をしたF教会のメンバーの方々が集会の中で一人ひとり挨拶をしてくださいましたが、口を揃えて言われたことは「最初は先生が何を言っているのか全然分かりませんでした。」

 初めの頃の説教は、よっぽどひどかったのだろうなと心の中で苦笑いしながら、かつ申し訳なく思い、またメンバーの方々の忍耐と祈りに感謝しながら挨拶を聞いたことを覚えています。

 私としては毎回、精一杯の準備をして臨みましたが、いつも大変緊張しながら無我夢中での奉仕でしたから、発音や言い回しのミスはたくさんあったのだと思います。

 「先生、この前、皆さん目を開けて祈りましょうとか言っていましたよ。」(私としては目を閉じてと言ったつもりの発音ミス。)

 「先生、時々説教に日本語が混じるんですよね。」(自分としては、全部A国語を話していたつもりだが、発音が下手で伝わらず日本語と思われていた。)

 そう言って、にこやかに私のミスを指摘してくださったF教会の方々には、当時を振り返った時に感謝しかありません。そのような率直な指摘によって、私も働きの中で一歩一歩と成長することができました。

 パウロはこのように聖書の中で記しています。「舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。(Ⅰコリント14:9)」

 このことを身をもって実感した思いでした。自分の話す言葉が明瞭に相手に伝わらなければ、それは空気に向かって話しているのと同じことになります。例えどれだけ時間をかけて外国語による説教を準備したとしても、結果的に空気に向かって話していることになれば、それは悲しいことです。

 そうならないように、海外宣教に関わる者は努力しますし、神様がみことばを通じてその人の心に働きかけてくださるように祈らされるのです。

 いつも説教の後に、今日も上手にA国語を話せなかったと落ち込んでいる説教者を前に「恵まれました」「教えられました」「ありがとうございました」と口々に言ってくださったF教会の方々によって、私は励まされ前に進むことができました。

 宣教師は現地の教会を建て上げるために出かけていきますが、宣教師自身も現地の教会との関わりによって育てられていくのです。

 

2.現地の教会での経験

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 約1年間奉仕をしたF教会では、現地の伝道者と一緒に伝道に行ったり、野外集会に行ったり、様々な働きを共にしました。その中で現地の教会と伝道者から多くのことを学ぶことができましたし、私にとって貴重な経験でした。

 多くの宣教師は、母国から宣教地に派遣されて最初の時期(1期)は現地語の勉強をします。最初の時期、言葉の勉強に専念できるというのは恵みですし、またそれからの働きのためにとても大事なことです。

 以前ある宣教師と話す機会がありましたが、様々な事情の中で宣教初期に言葉の勉強を短期間しかすることができなかったとのこと。それは長い目で見て失敗だったと言われていたのが印象的でした。

 宣教の働きが本格的に始まると、言葉の勉強のために時間を取ることが難しくなります。もちろん外国語の勉強には終わりがありませんから、常に習得する思いはいつになっても必要なのですが、語学のためにまとまった時間と労力が割けないのです。

 そのような意味で、宣教師として最初の期間にしっかりと語学のために時間を取ること、語学に専念すること自体が働きであるととらえること、そのことが将来の働きにつながることを心に留める必要があるように思います。

 場合によっては、第1期の中で現地語を学ぶ前にまず英語を勉強することが必要になるかもしれません。ある宣教師は、宣教1期にまず第3国に渡り英語学校で勉強され、それから宣教国に入って現地語を勉強されました。多くの国で現地語は英語を通してでしか学べないことも理由の一つです。宣教師それぞれに色々なケースがあります。

 語学を続ける中で、現地語がある程度理解できるようになると、多くの宣教師は新しく教会を始める前に現地教会で奉仕をします。その時点で教会を新しく始める宣教師もいますが、比較的少ないように思います。

 そのような現地の教会での奉仕の期間は、とても大切な期間だと私は思っています。私はその機会の中で、できれば現地の伝道者と共に働きたいと願っていました。それは、現地のクリスチャン、また現地の教会のスタイルをより深く知りたいと思ったからです。

 母国の教会のスタイルと、宣教地の教会のスタイルは同じではないからです。もちろん同じ点も多くありますが、様々な違いがあります。初期にその違いを理解することは大切ですし、そうでないと現地に「母国のスタイルの教会」を建て上げることにつながります。

 私は今までA国内のいくつかの教会に出席する機会がありましたが、A国に遣わされた宣教師の母国のカラーやスタイルというものが、宣教師の関わる教会には自然と滲み出るように感じたことがあります。

 西洋人宣教師が関わる働きには西洋的なカラーが滲み出ます。アジア人宣教師が関わる働きにはアジア的なカラーを感じます。私が関わった働きは、自然と日本的なカラーが周囲には感じられたことだと思います。それはある特定の文化をまとった人間が関わる以上、自然なことですし、決して画一的ではないそれぞれの特色ある地域教会の素晴らしさともいえます。またその色々なカラーが宣教に用いられることもあります。

 ただその中で、私としては母国である日本のスタイルをそのまま現地に持っていくのではなく、できる範囲で現地のスタイルを尊重したい、日本の匂いではなく現地の匂いがする教会を建て上げたいという思いがありました。どのようなやり方が良いかそうでないかではなく、これは私個人の願いから出たことです。もちろん私のような外国人が関わる以上、決して簡単なことではないですし、実際に経験した中で言えるのは、難しいという一言です。ただその思いは心の中にいつもありました。

 そのような意味で、宣教1期に現地の伝道者とある期間共に働けたのは、私にとって貴重な機会でした。何をすることが良いのか、何をすることが現地では受け入れられにくいのか、そのことを身をもって学ぶことができました。

 私が今まで宣教地でしてきたことの多くは、現地教会スタイルの「模倣」とも言えます。「独創的」なことはほとんどありません。あえて言うならば現地教会のやり方の「模倣」に自分なりの考えやアイデアを少しずつ付け足してきました。そのことが聖書の指針に反していない限り「模倣」から始まることは決して悪いことではないと私は思います。

 

3.召天と神の時f:id:krumichi:20211203020946j:image

 このF教会で説教の奉仕をしたのは、今この文書を書いている時点(2021年)から振り返ってもう10年以上前になります。

 あの時にF教会で一緒に礼拝していた2人のご婦人は、あれから病気によって先に天国へと行かれました。それぞれまだ幼い子供さんを残しての召天でした。教会にとっては大きなショックでした。身近な方が召天されたと聞いた時に、A国の医療の現実を知る者として、もし日本の医療水準だったら助かったのだろうかと思うこともあります。でも、こればかりは分かりません。

 ただA国では、日本よりも「死」というものを身近に感じることが多いのも事実です。後にA国の地方で新しく集まりを始めましたが、その集会に何度も来てくれたクリスチャン青年がいました。彼も、ある時事件に巻き込まれ天に召されたとの話を聞いて絶句しました。まだ若かったのに。

 同じく地方で始めた集まりにいつも来てくれた中学生の女の子がいました。その子は私たちとの出会いの中で、福音を受け入れることができ嬉しかったのですが、話を聞くとその子の両親は既に病気でなくなっていました。親族のもとにあずけられているのですが、親族の事情で各地を転々としていました。私たちとの出会いから数年して、彼女はまた遠い場所にある違う親族のもとへと移っていきました。

 ある地方に住んだ時に、自宅の近くにはバラックがありました。自宅を開放して日曜学校を始めた時に、そのバラックから男の子がいつも参加してくれました。両親と同居していましたが、ある日お父さんが病気でなくなり、しばらくして、お母さんも相次いでなくなりました。その子は姿を見せなくなりました。その後親族に引き取られていったと聞きました。

 医療が進んでいる国では、普段の生活の中で「死」というものを身近に感じることは、少なくなっているのかもしれません。しかし、A国に住んでいると、肉体の「死」という現実を身近に感じられることがあるのです。いのちは神のもの。そして全てに神の時があることを、福音を伝えていくことの大切さを、A国の働きの中で強く覚えさせられています。

 

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宣記22【1期】肉のとげを通して

  現地語による説教奉仕が始まった2009年から、現地教会での他の働きなどもあって、数ヶ月に渡って気が休まらない日々が続いていました。初めて現地語による奉仕が任せられたこともあって、その奉仕に全力を注いでいた半面、知らず知らずのうちに体の疲れがたまっていたことに気づきませんでした。そのうちに、たまっていた精神的また肉体的な疲労が目に見える形であらわれてきました。

1.ひとつの小さな肉のとげ

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 思い返すと2010年初旬ぐらいから、体調の違和感を薄々と感じつつありました。今まで経験したことのない違和感でしたが、当初はあまり深刻には考えていませんでした。

 しかし、しばらく経っても一向に違和感は改善せず、ある日の深夜に突然激しいめまいの発作が起こり目が覚めました。翌朝になっても発作は続き、とりあえず小さなクリニックでめまい止めの点滴をしてもらい一旦症状は落ち着きました。

 それからもしばらくの間、落ち着いたと思ったら軽い再発があるなど、症状はなかなか治まりませんでした。現在のA国の医療事情は昔よりも進んできていますが、当時は詳しい検査や治療はA国では難しく、現地の様々な方々からアドバイスを頂いた上で、隣国に行って治療を受けることとなりました。

 病気治療のために国境を越えて隣国に渡らなければならなかった宣教師を今までも何人も見てきました。しかし自分が行くことになったのは初めてのことでした。A国を離れ隣国に入国すると、そこはまるで別世界でした。建物も空港も何もかもが大きく、また人の数も多く、圧倒される思いでした。隣国首都にある病院に行き、専門科にて精密検査を受けることができ、とりあえずは薬で治療できるとのことで一安心でした。

 しかし、それからというもの数年ごとに同じ症状が繰り返し出て、その度ごとにその症状に悩まされることになりました。発作が再発する度に動けなくなる日々が続きました。また何度も発作を繰り返す中で、体が非常に疲れているときに症状が出やすいことが段々と分かってきました。

 初めての発作から数年経って治療を受けた病院で、ある病名を告げられ、その病気だと思われるとの診断がありました。完治は難しく、上手に付き合っていかないといけないと。今まで大きな持病らしい持病はありませんでしたので、「今後も長く付き合っていく病気」だと知らされたときには、なかなかその事実を素直に受け止めることができませんでした。

 ある宣教師にそのことを話すと「それは神様から与えられた肉のとげのようなものかもしれませんね」と言われたことを覚えています。聖書に書かれているパウロの「肉のとげ」とは彼の体に与えられた何かの病の可能性もあるように言われています。もちろんパウロの肉のとげに比べたら、私の肉のとげは極々小さなものです。とはいえ、できれば避けたい思いもあります。

 しかし、視点を変えるならば「肉のとげ」とは体に与えられたリミッターのようなものであって、知らず知らずのうちに状態がもっと悪い方向へと進んでいかないために、「肉のとげ」が守ってくれているという事実もあるのだと思うようになりました。

 

2.肉のとげを通して

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 宣教地での持病の発症を通して、それまでの考え方や動き方からの転換が求められているように感じました。その頃を振り返るならば、ただひたすら無我夢中に走っていたような状況だったと思います。必死に取り組んでいたからこそできたこともあるのは事実です。しかし、年齢を重ねるにつれて、思いに身体がついていっていないことに気づいていませんでした。

 今から考えるならば、当時は心と体のバランスが崩れていたのだと思います。そのような意味では、病の発症はそのことを気づかせてくれた一面もありました。

 当時の病の発症を通して、考えを改めた点をいくつか記します。

①無理をしないように心がける

 病気を発症した後は、なるべく無理をしないように心がけるようになりました。特に発作の前兆のようなものがあれば、意識的に休息を取るようにしました。

 定期的に体を休める時を取らなければ、結局のところ体調のバランスを崩すことになり、もっと長い休みを取らざるを得なくなります。一度体調を崩すならば、回復にはその何倍もの時間がかかります。そうならないように、意識的に休息することが大切なことを、一連の出来事の中で学びました。

 ある信仰書にもこのように書いてあったことが強く印象に残っています。『神様が安息日を定められたように、人間にとって身も心も休む日は必要。牧師も宣教師も、自分自身で休息日を決めて、その日は大切にしなければならない。そうでなければ、倒れてしまう。他人任せではなく自分自身で自らの健康を管理しなければならない。

 ある日、街の中で知人の宣教師にばったりと出会いました。数年ぶりの再会でした。一緒にベンチに座り話を聞くと、知人の宣教師は自ら燃え尽き症候群のような症状で長く苦しんでいると話してくれました。そして懇々と諭してくれました。「過労に気をつけなさい。絶対に無理をしてはいけない。そうでないと、私のようにつらい思いをすることになるから。」そのアドバイスがとても心に染みたことを覚えています。

 賜物が人それぞれ異なるように、与えられている器の容量も人それぞれ異なります。限界となるポイントも一人一人異なるのです。それは牧師も宣教師も伝道者も変わりません。他人と比較してではなく、他人に合わせてではなく、他人任せでもなく、他人の目を気にしてでもなく、自分自身で自らのリミットを知って、そのリミットを超えないように注意する必要があることを感じています。

 

②自分にできないことは他人にゆだねる

 病を発症する中で、自分にできないことはできないと率直に認め、時には他人に任せるということの大切さを知りました。発症するまでは、何でもかんでも自分ひとりで頑張ろうと、ついつい思ってしまいがちでした。誰かに任せたり、委ねたりということが苦手だった気がします。でもそれは間違いでした。

 宣教の働きは私一人で全部のパートをおこなうことではありません。数年前にある牧師に言われた言葉を今でも思い出します。「一人単独で行うよりも、何人かで協力しながら行う宣教の働きもいいのではないですか。」もちろん人それぞれの賜物や行き方がありますが、一人よりも二人の方が祈りあえ、支え合えるという面はあるのだと思います。

 私はこの病をきっかけとして、自分ひとりでは明らかに無理と思われること、また自分に与えられた能力や賜物の範囲を明らかに越えていると思われることに対しては、あえて手を出さないことに決めました。それは神様が自分ではなく、他の誰かに望んでおられる働きかもしれないからです。

 また、もし信仰の立場が同じ同労者が周りにいたら、協力や支援をお願いすることをためらわないようにしました。このことは、やがて私自身がA国の地方で新しく集まりを始める時に、自分ひとりで全部を抱えて行うのではなく、近くの交わりができる教会と一緒に協力しながら働きを行うというやり方につながっていきました。このやり方は私の性格や賜物にも合っていたと思います。

 

3.肉のとげと神の配慮

 私自身、ひとつの「肉のとげ」が与えられた時に、周りを見ると多くの宣教師も「肉のとげ」で苦しんでいる事実を知りました。

 今もA国で働いている知人宣教師も長い持病で苦しんでいます。彼はある時、このような文章を記していました。

「私は身体の痛みや身体の制限が少なくなることを望んでいますが、病のいやしによって満足するという罠に陥らないようにすることの方が大切です。私の満足は、この人生の中でのいやしではなくキリストであり、希望と喜びもキリストにあるべきなのです。私は私に対する神のみこころを知りたいと願い求めていますが、ひょっとしたら神のみこころ、すなわち神の最善は、いやしではないかもしれません。慢性的、長期的な病気を抱えている人は、この戦いをよく知っているでしょう。…」

 持病やとげの中にも、何かの神の計画があり、神は常に最善をなさるお方である。そして身体の弱さを通しても神様は何かのことを教えようとされている。そのことを忘れないようにしたいと思わされています。

 後にA国の地方に移住して働きをおこなっている時には、私の持病もそうでしたが、特に家族の健康に関しては祈らされました。日本の教会の皆様にもいつも祈って頂きました。もしその地で大きな怪我や病気をした場合、治療のために300キロ離れた首都の病院まで行かなければならなかったからです。

 何回か私の持病が再発した時には、首都まで通うこととなりましたが、それでも家族共々、熱帯病などの大きな病から守られたことは感謝でした。健康には留意しながらも、最終的に健康を支え、体を守ってくださるのは神であることを、また与えられる「肉のとげ」にも何かの理由があり、背後には深い神の配慮があることを、これらの経験の中で改めて教えられました。神はいつも神の目から見て最善をなさいます。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

 

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宣記21【1期】現地での伝道とは

 A国の多くの教会でも、近隣に出かけていってトラクトを配ったり、出会う方々に教会の案内をする伝道活動をしています。年中暑いA国では、家の前に座って日陰で涼んでいる方々も多く、直接トラクトを手渡してお話する機会もよくあります。私も教会のメンバーと一緒に伝道活動に行きましたが、実際に近隣の方々に出会って、様々なお話をしたり聞いたりする中で、気づくことも多くありました。今回はA国での伝道の中で気づいたことや感じたことをいくつか書きたいと思います。

1.キリスト教に対する見方

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 まずA国では、多くの人たちは「キリスト教は西洋の宗教だから自分たちには関係がない」と考えているように感じました。キリスト教会、また宣教師のイメージが西洋人であり西洋的なものが強いということがあるのでしょう。これは日本でもよく耳にすることですので、私自身は意外な思いはしませんでした。

 宣教師イコール西洋人という見方は、A国でも日本でもいまだに根強くあるように思います。しかし、いまA国で一番人数が多い宣教師は韓国人とも聞きます。またキリスト教国ともいわれるフィリピンからも多くの宣教師がA国で活動しています。かつてのような宣教師イコール西洋人という時代は変わりつつあります。

 実際にA国では、韓国やフィリピン以外のアジア諸国から派遣されている宣教師にも出会うこともありました。一度お会いした中華系の宣教師は、A国に大勢いる中国の人達のための働きを中国の言葉でおこなっていると聞きました。そういうこともできる時代なのだなと驚いたことを覚えています。

 ある国の宣教に導かれた場合、その国へ直接出かけていき、その国の中で働きをしていくことが今までは多かったように思います。しかし現在、ある国の人たちを対象とする働きは、その国に直接行けなくても、母国でも他国でも行えますし、また様々な形を通して活動ができる時代になったということをA国での宣教の動きを見て知りました。

 今の時代の海外宣教は、以前のようにアメリカから日本へなど「ある特定の国からある特定の国へ宣教師が遣わされる」というような一方向だけでなく、「いろんな国からいろんな国へ宣教師を遣わし遣わされる」という双方向の動きがあるように思っています。これからも神の導きの中で日本から宣教師が世界各国に遣わされ、そして他国から日本へ宣教師が遣わされてくる。そのような時代なのだと思います。

 

2.教会に対する誤解

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 「教会に行ったら、英語を教えてくれますか?パソコンを教えてくれますか?」このような声も伝道の中でよく聞くことがありました。教会がまるで学校や教育団体のようにとらえられ誤解されているようでした。伝道のためにある近隣の村へ行くと、「お母さん!教会がお米を配りに来たよ」と子供が誤解して叫んだこともありました。多くの方々は教会をNGOなどの支援団体と混同されているような感じでした。

 A国では、社会的活動や貧困のための活動をしているキリスト教会が数多くあり、そのような教会の活動によって、一般的に教会が慈善団体のように見られているところがあります。それは「福音という種を蒔くために地を耕す」という意味では良い一面もあります。また、そのような教会の活動によって、キリスト教会がA国では比較的に良好なイメージをもたれていることは感謝なことです。

 しかしながら、教会の活動はそれがメインではありません。本当に大事なのは魂の救いであると私は信じています。ただそのような風潮の中で「英語教室、パソコン教室」などの「付随するもの」がなければ、教会には行きませんと、はっきり言われる方がとても多いのは残念に思いました。

 またキリスト教は貧しい人のための宗教でしょう。私には関係ありません。」との声を聞くこともありました。これも、多くの教会が貧富の差が激しいA国にあって、貧困者のための支援活動をしていることもあるように思います。そのような中にあって、一部の人たちからは、教会は貧しい人が行く場所であって、私が行く場所ではないと思われているようでした。

 「そうではありませんよ。教会は全ての人に扉が開かれています」とお伝えするのですが、このあまりに大きい貧富の差の現実の中で、最初から教会に足を向けようとしない人々がいることは残念に思いました。

 ある宣教師がA国で比較的裕福な人に福音をお伝えしたところ、このように言われたそうです。「聖書に書かれている福音を私は理解します。でも、もし信じてクリスチャンになったら私はA国で仕事をしていけないのです。」彼はその時は福音を受け入れることがなかったそうです。キリスト教に対する偏った見方、また「貧しい人のための宗教」と言われるA国で、日本とはまた違う現実を見た思いがしました。

 

3.どのように伝えていくか

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 ではA国という背景の中でどのように福音を伝えていくことが必要なのでしょうか。日本とはまた違う工夫が求められることがあります。A国の伝道の中でよく耳にする言葉がまだあります。「釈迦はキリストよりも早く生まれた。だから釈迦の方がキリストよりも優れている。」この言葉はよく聞きました。確かに歴史的に見ればその通りでしょう。そして、早く生まれた者(年長者)がより優れているというのは、東洋的な思考の影響もあるのかもしれません。

 以前にも書いたことがありますが、あるA国で働く宣教師はこのように言いました。「私は福音を伝える時に、まず創世記を用います。はじめにまことの神が存在しておられて、天地万物を造られたというメッセージがA国での福音宣教には必要です。」イエス・キリストは永遠の昔から存在しておられ、天地万物を造られた神であるという聖書の教えから、福音を伝えていくこともA国では大切なのです。

 またA国語では「神」に対してあるひとつの単語を使いますが、この単語は、A国では王様や僧侶に使われることもあり、人によっては自分の両親に使うこともあります。日本語では一般的に「神」という単語が人間に使われることはほとんどありませんが、A国語ではよくあることなのです。A国の人々がもともと抱いている「神」に対するイメージはどのようなものなのかを福音を伝える者は考えなければなりません。

 主に西洋の教会や宣教師から日本の教会やクリスチャンに伝えられてきた伝道の方法は、まず「神」がおられるということを前提にしての伝道方法のように思います。ある時フィリピンからA国に派遣されてきた宣教師と話すことがありましたが、フィリピンはキリスト教国(カトリック)で神観が根付いているため、フィリピンで福音を伝える時は唯一の「神」がおられることを前提に話すことができると。だから理解されやすいと。しかしA国ではそうではなく、まず「神」を正しく説明するのに時間がかかると。神はたくさんいるのではなく唯一のお方であり、人間を造られたお方という説明から丁寧にしないといけないと。その通りだなと思いました。

 日本の背景も似ているかとは思いますが、A国ではまず「神」という言葉から正しく教えていかなくてはならないのです。なぜなら先にも書いた通り「神」という言葉はA国では人間にも使われるからです。このことをひとつひとつ説明していくには時間もかかります。福音伝道には時間と忍耐が必要です。でも、正しく福音を伝えるためには必要な時間なのです。

 最後に伝道の中でよく言われた言葉をもう一つ。「全ての宗教は良いのだから、別にキリスト教にこだわらなくてもいいでしょう。」確かに多くの宗教には良い教えがあります。人生をいかに生きるかという教えとしては良いものです。多くの宗教は人を良い行いに導きます。しかし、良い教えと魂の救いは別です。良い教えから、そして良い行いからは罪からの救いはやってこない。救いはただ神からのみ。その変わらない聖書からのメッセージを、A国と言う文化や風習の土壌の中で工夫しながら伝えていかなければなりません。

 海外宣教とは決して日本の宣教と異なるものではないのです。確かに環境や状況は日本とは異なりますが、現地でおこなっていることは日本と全く同じなのです。地道に一歩一歩福音を、そして場所が変わったとしても変わらない聖書のメッセージを、A国の状況の中でお伝えしていくのみです。

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宣記20【1期】現地の教会での説教

 A国語の勉強を続けながら、村の集会で毎週子供対象に聖書のお話を続けていました。そしてA国に渡って2年が経った2009年のこと、首都近郊にある教会から、夕拝で1回の説教をしてもらえませんかという依頼がありました。 

 それまでA国語で成人向けの説教をした経験はなく、初めてのことでした。もちろん何をするにしても初めての時というのは必ずあるのですが、A国語での初めての説教は記憶に強く残る奉仕となりました。

 

1.初めての説教

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 その頃よりも過去に話はさかのぼります。私にとって初めての日本語による礼拝説教奉仕は、関西にある教会でのことでした。当時就職をして働いていた勤務場所の近くにあって、定期的に出席していた教会でした。

 神学校に入学するために、仕事を退職して一旦出身地に戻ることになった時、出身地に戻る前に一度礼拝で説教をしてくださいとその教会の牧師からお話があった時は大変驚きました。まさに青天霹靂でしたが、その先生の励ましの中で、引き受けることとしました。初めての説教の準備にはかなりの時間をかけ、説教の数日前から緊張していたことを覚えています。

 その時の聖書からの説教は、神学校入学前でまだ聖書の知識にも乏しく、今から振り返っても赤面するような説教だったと思います。しかし、あれから25年以上経ちましたが、今でもあの時の初めての説教のことを思い出すのです。自分の働きの原点となる説教奉仕でした。

 なぜ昔の話をしたかと言いますと、2009年のA国語による初めての説教も、まさにその時と同じ体験をしたからです。

 私は原稿にないことを話すのが苦手なタイプなので、いつも日本語、A国語に関わらず説教の原稿は事前に全て書くようにしていますが、A国語による最初の説教ほど準備に時間がかかった説教もなかったと思います。まず日本語で説教原稿を全て記し、その原稿をA国語に一言一句翻訳します。そして、ようやく出来上がったA国語の説教原稿を、当日まで何度も何度も読んで練習します。説教当日を迎えるにつれて祈りの中にも緊張感が高まっていきます。

 そして緊張感に満ちた当日、以前村で子供に対して初めてA国語で聖書のお話をした時と同じように、頭が真っ白になるような思いでした。しかし、A国語で話を始めた時に、神様が聖書のみことばを用いて働いてくださいました。今から思い返しても、発音の間違いはたくさんありましたが、聞いて下さる方に大事なポイントはお伝えすることができたと思います。

 その時から今にいたるまで私が確信していることですが、私のつたないA国語による話や説明ではなく、聖書のみことばにこそ力があるということ。そして、みことばこそがその人を変えることができるということ。

 そのことを思う時に、言語習得には終わりがない努力が必要なのですが、一番大切なのは、聖書のみことばに混ぜ物することなく伝えるということだと日々教えられています。

 

2.毎週の説教奉仕

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 初めてA国語で説教をした教会から、数か月後に新たな奉仕の依頼がありました。その教会を始めたアメリカ人宣教師の帰国による不在の間、教会で毎週1回夕拝にて定期的な説教をしてほしいという内容でした。

 この説教奉仕の依頼を受けた時は、まだA言語の勉強を続けている時でしたので、自分にとっては荷が重い奉仕のようにも感じました。毎週村の集会で子供達相手に聖書のお話は続けてきましたが、成人向けに説教をすることはまだ経験が少なかったからです。

 しかし、その教会には宣教師の他にも現地人伝道者がおられたこと、基本的にはその伝道者の方が教会の責任を持ち、私はその現地人伝道者を手助けする役割であることを確認し、祈りのうちにその依頼を引き受けることとしました。

 基本的に、現地の教会から奉仕の依頼があれば喜んで引き受けたいと思っています。その務めのために遣わされているからです。しかし、宣教1期の時には、様々な葛藤の中でお断りしたこともありました。

 まだ1期の時は、言語習得に力を注いでいた時期でもあり、責任ある奉仕を果たせる言語力のレベルに達していなかったからです。お断りする決断というのは、正直心が痛いのですが、自分の言語力以上のものが求められる奉仕を引き受けて、もし自分の能力不足から責任を十分に果たせなかった場合、結果的に教会にもご迷惑をおかけするかもしれないと考えました。その時の自分自身がどこまでできるか・できないかという境界線のようなものを見極めて、判断することは大切であることを宣教地で学びました。

 しかしその上で、時に神様は私たちが持っている能力以上のものが求められる奉仕や働きに導かれることもあるのだと思います。神様が求められるのは能力ではなく信仰であって、たとえ能力に不安があったとしても、信仰をもって前進する時に、必要な力は与えられるのだと信じています。

 今までのA国における宣教の働きを時系列で振り返るならば、

1.渡航して語学の学び (2007~)

2.村での子供集会での奉仕 (2008~)

3.教会での説教のみの奉仕 (2009~)

4.教会を預かっての奉仕 (2012~)

5.新しい集まりの形成 (2013~)

 以上のように、階段を一歩ずつあがるように今まで歩んできました。事前に計画してこのようになったというよりも、神の導きの中で後から振り返ってみれば、結果的にこの順番になっていたと言う方が良いかもしれません。

 宣教師によっては一気に段階を飛び越えて進んでいく方もおられますが、私にとっては、一つ一つ階段をのぼるようにしてじっくりと段階的に進む方が結果的には良かったと思います。

 どのやり方が良い悪いということではなく、宣教師それぞれに与えられているもの、またそれぞれの個性、置かれている環境も異なりますので、それぞれに対する神の導きに従うことが求められているのだと思います。

 

 3.外国語での説教とは

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 外国語で説教を準備するのは大変ですか?と聞かれることがあります。日本語も外国語も説教の準備としておこなう内容に変わりはありません。しかし、準備にかかる時間がどうしても日本語のみの説教の倍近くはかかってしまいます。

 私は先にも書きました通り、いつも説教はすべて原稿に書いて準備します。最初は日本語で原稿を作成し、そして次に辞書を片手にA国語に翻訳していきます。日本語とA国語のニュアンスの違いで、ただ直訳するだけでは意味が通じないことがありますので、そのあたりは苦心しながら、伝わるように準備をする必要があります。最初は慣れない中で、それこそ神経が磨り減るような準備の時でした。

 日本でもそうですが、教会でおこなわれる説教では「キリスト教の専門用語」がよく使われます。一例として「義認」「導き」「みこころ」などがありますが、これらは一般的には使われない言葉で、クリスチャンでない方が耳にしたとしても理解しにくい言葉です。

 A国語にも、このようなキリスト教の教会用語、また聖書用語はありますが、これらの言葉を語学学校では習うことはまずありません。また一般の辞書にも出てきません。しかし、聖書を教える時に必要な聖書用語や教会用語はたくさんあります。それらの用語をどのようにして習得するかは頭を悩ませるところです。

 私の場合ですが、日本語の聖書とA国語の聖書をいつも見比べました。そしてA国語の聖書に出てくる単語の意味を、日本語の聖書の同じ箇所を見て汲み取っていきました。

 また、初期に現地説教者による説教を録音し何回も繰り返し聞きました。その中で、現地の説教者が使う用語や言い回しをメモに残していきました。1人の説教者のみですと、その説教者独特の言い回しがありますので、なるべく多くの説教者の現地語説教を聞きました。そして、この言い回しは分かりやすいと思うものがあれば、自分の説教でも使うようにしました。

 そのうち、単語や言い回しの「引き出し」が増えてくると、最初はぎこちなくても段々とスムーズに話せるようになっていきます。そのためにはやはり経験と積み重ねが大事なのでしょう。これは説教に限らず、他のことでも同じかと思います。

 外国語で説教をする時に、個人的に気をつけた点を以下に3つ記します。

①なるべく分かりやすい言葉を使う

 私のような外国人が説教をする場合、どうしても発音に難があったり、聞きづらいことがあるように思い、あえて難しい言葉や言い回しを用いないようにしました。その場にいる子供でも理解できるような言い回しを心掛けました。私の役割はなるべく簡単な言葉で、誰でも理解しやすい説教をすること、福音を語ることと割り切り、そのために力を注ぎました。

②なるべく視覚教材を用いる

 外国人として、言葉に関しては不足や限界があると考えていました。そのため、なるべく説教の中で視覚教材を用いることを心掛けました。時に、ホワイトボードを使って説教の聖句を書きだしました。またプリントを使ったり、いろんな小物を説教中の視覚教材として使い、足らない言葉を補う工夫をしました。

③現地の実情に応じて話す

 説教の中で使う例話など、現地の文化や生活、実情に即したものを用いるように心がけました。つい日本人としての価値観や様々な背景をもとに語ってしまいがちなのですが、日本とA国では、文化、習慣やタブー、価値観など多くのことが違います。なるべく現地の方々にとって適切でふさわしい例話、イメージしやすい例話などを使うようにしました。

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 ある時英語圏からA国に遣わされた宣教師から「語学を始めて半年たてばA国語で説教ができるようになりますよ」と伝えられたことがあります。しかし、私の場合なかなか現実が伴わずにつらい思いをしました。

 英語とA国語は文法が類似していることもあり、英語が母語の人にとっては、A国語は比較的に勉強しやすい言語かと思いますが、日本語を母語にしている私にとっては、文法がまるっきり異なるA国語を習得するのにかなりの時間を費やしました。結局、A国語で曲がりなりにも説教ができるまで2年かかったことになります。

 それぞれに一番良いペースがあります。「自分に与えられたペースでおこなっていくこと」「決してあせらないこと」が異文化の環境で継続的な働きをするために、特に大切なのだと思います。 

 

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