南の国の風と共に

南の国の教会で働いているミッショナリーのメモ

勉強クラブの記録① 始めた理由

 2013年に南の国の地方に引っ越しをして、これからどのように遣わされたコミュニティに入っていくか、そしてどのように伝道を始めていくか、その糸口を祈りながら考えていました。外国人がいきなりコミュニティに入っていくことは難しく、コミュニティと信頼関係を築くための足掛かりが必要でした。その時に目に入ったのは、多くの子供たちが私たちの家の前で遊んだり、家の前を行き交う姿でした。いつ見ても、子供がいました。子供が多い国といわれるこの国、まさにそのものでした。
 南の国に赴く前に、ある宣教師から言われた言葉が心に残っていました。「多くの宣教師が世界各国から遣わされる中、神様があえて日本人を選ばれ、日本の教会から遣わされるのには必ず理由があります。ですから日本人として何ができるかをぜひ考えてみてください。」客観的に見て、いまこの国で一番多い宣教師は韓国人です。次にアメリカ人でしょう。バプテストの教会で見るならば、フィリピン人も多く遣わされています。それに比べると、日本人宣教師は本当にわずかな数です。しかし、その中で、神様が日本の教会を導かれ、日本の教会から宣教師をこの国にお遣わしになったのには、何かのご計画と御心があるのだろう。機会があるごとに、そのようなことを考えさせられていました。全ての宣教師は福音宣教のために仕えますが、とりわけ日本人としてこの宣教地でできることは何だろうか。日本人の強みは何だろうか。その一つは教育の分野ではないか。特にこの国の子供たちへの思いがありました。
 そのような中で地方に移り、住み始めた家の大家さんはクリスチャンでした。年齢は90才近く。かつての大虐殺の時代、神様を信頼して神様の守りの中でクリスチャンとして生き抜いた証し人でした。ある時、私とその大家さんとその息子さんと話していた時に、しみじみと言われたことを覚えています。「この国はね、本当に悪が多いのです。この国の希望はね、子供ですよ。子供が希望です。」考えさせられる言葉でした。この国のこの地で、様々な事を見聞きする中で、まず子供や若者を対象としたミニストリーが求められているのではないか。そのための足掛かりは教育ではないか。そしてそれは私たちがすることができることではないか。そのような思いに導かれていきました。
 かつて江戸時代に日本には「寺子屋」というものがあったと聞いています。お寺が庶民の教育を担っていたといいます。当時の日本は寺院を中心としたコミュニティだったのでしょう。そして、それは今のこの国にも当てはまります。虐殺の時代以降、教育に多くの問題を抱えるこの国では、多くの寺が貧しい子供たちのために教育の場を提供しています。伝道所のあった地区の公立小学校は寺の敷地内にあります。それは普通に見られる光景です。子供たちは毎日お寺の中に入って学校に行きます。教育と寺が密接に結びついている現状があり、子供たちは幼い時から仏教の強い影響の中で育ちます。教会はそのような中で何ができるのだろうか。平日は勉強を教え、日曜は聖書を教える。昔の日本にあった「寺子屋」ならぬ「教会子屋」のような存在は地域への証し、伝道のためにも可能なのではないかと考えました。次第にイメージが膨らんでいきました。
 
 
     勉強クラブ初日の様子
 
 あるクリスチャン系NPOが行っていた放課後の教育支援活動「勉強クラブ」の名前をそのまま頂戴し、当初は自宅を開放して始めることにしました。内容は主に日本の算数の繰り返し計算プリントでダウンロードフリーのものを使いました。算数を選んだのは、この国に英語教室はたくさんあるが、算数教室は皆無だったこと。算数に弱さを抱えている子供たちが多いこと。算数プリントならば、自分のペースで勉強でき、いつ中断してもまたいつでも復帰できること。また子供を迎える側も、プリントの添削のみで良いので、少人数で対応できること。また、将来的に算数プリントを持って各家庭に赴き、家庭教師のような形も可能なのでは。そこで各家庭とつながりを深められるのではないか。いろいろな理由がありました。
 今から6年前の7月。チラシを作り、近所に配ってまわりました。いきなり日本人が訪れてきて驚かれたかもしれません。本当にこの国の子供たちは外国人の家に入って来るのだろうか。迎えた最初の日、扉を開けて待っていると、恐る恐るひとりまたひとりと扉をくぐってきました。約10人の近所の子供たちから、勉強クラブは始まりました。そしてその2か月後に、その子供たちを中心として日曜学校が始まることになります。そのための一歩としての勉強クラブ。全てが手探りの中で、実際に勉強クラブを始めてみて、子供たちと触れ合う中で、この国が抱える様々な現実に驚かされました。 (続く)

伝道所の記録①

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 写真は南の国の伝道所として2014年から先月末まで借りていた建物です。伝道所としての場所探しが難航していた時に、数か月祈ってようやく与えられた場所はその地域有数の大きなお寺のお膝元、門前町で、いつも伝道所の前を僧侶数人が歩いているような場所でした。
 いきなり外国人がそのコミュニティに入っていくことは難しいので、まず足掛かりとして勉強クラブ(算数教室)を始め、5年間で地域の約200人の子供たちが伝道所の建物内に足を踏み入れてくれました。その中で徐々に地域住民との信頼関係ができ、勉強クラブから教会学校につながる子供たちが与えられ、また福音を受け入れる子供たちや中高生が与えられていったことは感謝でした。
 そして子供たちの家や親族を訪問しての証しの中で、保護者の方々が特伝などの機会に伝道所に足を向けてくださるようになり、保護者親族の方々の中で福音に心が開かれる方々が起こされたことは嬉しいことでした。突然公安警察がこの場所に踏み込んできて、2日間に渡る尋問を受けるなど紆余曲折もあったが、約5年間神様が様々なことの中で、守ってくださいました。
 先月末をもってこの場所は退去となりましたが、私にとっては思い入れがある場所です。今は私たちの働きを引き継いでくださった現地教会がまた場所を変えて働きを進めてくださっています。

「ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る」

 最近、教会に集っている2人の女子中学生が福音を受け入れる決心ができたことは感謝でした。そのうちの一人の中学生に聞きました。「今まで福音を聞いたことはなかったの?」

 「実は…」とその中学生。「以前住んでいた所に、ある教会から人が来て近所の子供たちのための集会をしてくれました。それに参加したことはあります。」話を聞くとその時には信じるには至らなかったようでした。でも、あるクリスチャンによって確かにその時に福音の種まきはなされていました。

 ここしばらく訪問を続けている家があります。その家のご主人は言いました。「幼い時に、近くの教会からクリスチャンが訪問してきたことを覚えているよ。」そのクリスチャンがいろんな話をしてくれたことを懐かしそうに振り返っていました。まだそのご主人は信仰を持つには至っていません。でも、あるクリスチャンによって幼い時に蒔かれた福音の種は確かにその方の心に残っていました。

 CSに子供を快く送り出してくださる家のお父さんに会う機会があり話したことがあります。「若い時に何度か教会に行く機会があってね。」教会に対しての良い印象が残っているようでした。また、私の知人の牧師が田舎で子供集会を開催した時、そこで集まるための場所を提供してくださった未信者の方がいました。「かつて大虐殺の時代に国境に逃げたのだけど、そこでクリスチャンの方々にとても良くしてもらったからね」と話していたそうです。かつて名も知らないクリスチャンの誰かによって蒔かれた種は、何十年経っても人々の心に留まり続けています。そして次世代につながろうとしています。 

 ある交わりの中で、この国の牧師が語った言葉が心に残っています。「この国での働きの多くは種まきのようなものですよね。」キリスト教に対する偏見や圧迫が強いこの国で、福音を宣べつたえることは他の国と同様に決して簡単なことではありません。すぐに実を見ることは少ないかもしれません。「でも」とその牧師は付け加えました。「私たちが蒔いた種を10年後か20年後にでも誰かが刈り取ってくださったら嬉しいですね。」

 私たちが蒔いた福音の種を、自らが刈り取ることができるならば感謝です。でも、多くの場合、私たちが蒔いた種をいつか分からないけれども誰かが刈り取るだろうと、そのことに希望をおきます。その希望を見つめて、地道に福音の種を蒔き続けるのが宣教の働きかもしれません。その上で時々、神様はかつて他のどなたかが蒔いた種を刈り取る機会を与えてくださる時があるように思えます。そのことを通して神様は蒔き続けることをあきらめないようにと、種を蒔く者を励ましてくださっているように感じるのです。種の無いところに実は決してならないのですから。