南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記30【2期】勉強クラブ①

  2013年に首都から地方の街に引っ越しをして、これからどのように集まりを始めていくか、その糸口を祈りながら探していました。外国人がいきなり現地のコミュニティに入っていくことは難しく、コミュニティと信頼関係を築くための足掛かりが必要でした。その時に目に入ったのは、多くの子どもたちが私たちの自宅の前で遊んだり、自宅の前を行き交う姿でした。子どもが多い国といわれるA国、まさにそのものでした。

1.日本人としてできること

 前にも何度か書きましたが、A国に赴く前のデプテーション(教会訪問)の時にある宣教師から言われた言葉がずっと心に残っていました。「多くの宣教師が世界各国からA国に遣わされる中、神様があえて日本人を選ばれ、日本の教会からA国に遣わされるのには必ず理由があります。ですから日本人として何ができるかをぜひ考えてみてください。」

 客観的に見て、他国人宣教師に比べて日本人宣教師は世界の中で本当にわずかです。しかし、その中で神様が日本の教会を導かれ、日本の教会からA国に私たちが遣わされたのには、何かのご計画があるのだろう。機会があるごとに、そのようなことを考えさせられていました。

 全ての宣教師は福音宣教のために仕えますが、とりわけ日本人としてこの宣教地でできることは何だろうか。そのようなことも考えながらのデプテーションでしたが、訪問したある教会で、近隣の子どもたちのために教会を開放して勉強教室を開催していたのが目に留まりました。また日本のいくつかの教会では同様に近隣の子供たちのための教育支援活動を行いながら証し・伝道をしている様子を見て、ひょっとしたら、これはA国でもできるかもしれないという思いが心の中に残っていました。

 そのような中で2013年に首都から地方の街に移り、住み始めた家の大家さんはクリスチャンでした。年齢は当時80代後半でした。かつての大虐殺の時代、神様を信頼して神様の守りの中でクリスチャンとして虐殺の時代を生き抜いた証し人でした。

 ある時、私とその大家さん家族と話していた時に、しみじみと言われたことを覚えています。「この国はね、本当に悪が多いのです。この国の希望はね、子どもですよ。子どもが希望です。

 考えさせられる言葉でした。この遣わされた地で、まず子どもや若者を対象としたミニストリーが求められているのではないか。そしてそれは私たちができることのひとつではないだろうか。様々なことを見聞きする中で、ぼんやりとした思いは次第にはっきりした思いへと変わっていきました。

 かつて江戸時代に日本には「寺子屋」というものがあったと聞いています。お寺が庶民の教育を担っていたといいます。当時の日本はお寺を中心としたコミュニティだったのでしょう。そして、それは今のA国にも当てはまります。大虐殺の時代以降、教育に多くの問題を抱えていたA国では、多くの寺が貧しい子どもたちのために教育の場を提供しています。B市で私たちの教会があった地区の公立小学校はお寺の敷地内にありましたが、それはA国では普通に見られる光景です。そのような中で、教会は何ができるのだろうか。

 平日は勉強教室の形で勉強を教え、日曜は日曜学校で聖書のことばを教える。昔の日本にあった「寺子屋」ならぬ「教会子屋」のような存在は地域への証しのために、また福音伝道のためにも可能なのではないかと頭を働かせました。考えると、キリスト教会の日曜学校(教会学校)も、元々は英国で子どもたちに文字の読み書きを教える勉強教室のようなところから始まったとのこと。次第にイメージが膨らんでいきました。

2.勉強クラブの開始

 しく始める勉強教室で教える科目は小学校の算数としました。この国には英語教室はたくさんありますが、算数教室はほぼ皆無だったこと。また繰り返し計算のプリントをそれぞれ子どもたちのレベルに応じて配り、子どもたちが自分の力で学習する方法がより良いのではと思ったことなどが理由でした。

 開始に向けて計算プリントを多数用意しました。そして、準備が終わった段階で案内を作り、ご近所に挨拶がてら配りました。近所の子どもたち向けの勉強教室の名前は「勉強クラブ」とし、当初は自宅の一角を開放して、行うこととしました。

 スタートの日、近所の子どもたちは見知らぬ外国人の家に本当にやってくるのだろうかと不安でしたが、時間になると、ひとり、またひとりと近所から小学生たちがやってきました。初めてとなる勉強クラブの開始でした。最初は9人の子どもたちが集まり、みな緊張している様子でしたが、段々と打ち解けてきました。次の日は15人が集まり、にぎやかになっていきました。

 それからというもの、多い時は40人ほどが一度に来ることもあり、対応が難しくなるほどでした。その都度、よき助け手が与えられたことを感謝しています。また、日本の教会から来てくださった方々も勉強クラブで子どもたちの勉強を見てくださり、大変助けられました。この勉強クラブは、B市におけるミニストリーが終わる時まで続きましたが、記録を見るとトータルで200名以上の子どもたちが近隣から参加したことになります。この勉強クラブを通して、近隣の方々と良い出会いのきっかけとなったことは感謝でした。

 

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