南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記31【2期】勉強クラブ②

 A国で学んだことのひとつは「まずやってみる」思考でした。A国の人たちは何かを思いついたら即断即決、すぐに行動に移す人が多いように思います。これはクリスチャンや教会もそうです。まず実行しながら、見えてきた問題点をその都度改良していくのです。思い通りにいかなかった時に方向転換するのも早いのですが、いろいろと考えながら実行が遅くなってしまいがちな私にとっては、新鮮な考えでした。A国流に手探りの中で「まずやってみた」勉強クラブですが、実際に始めてみる中で多くの驚きやまた発見がありました。特に最初の時点で関わったバラックに住む子供たちのことは、今でも忘れることができません。

1.教育の現実

 強クラブを始めた当初、私たちの自宅の近くにはバラックがありました。(写真は自宅周辺)。電気も水道もない家に家族が住んでいました。毎朝バラックに住む子どもたちはバケツを持って近くの池まで水を汲みに行き、兄弟ふたりで水の入ったバケツをかついで家まで運んでいました。毎晩暗い中、ロウソクを灯してご飯を食べていました。そのバラックから数名の幼い兄弟たちが、勉強クラブが始まった時から参加してくれました。

 家は貧しくて子どもを学校に通わせるお金もなく、外国NPOの支援があってようやく通えている現状でしたが、それでも学校に行けたり行けなかったりという事情の中で、子どもたちは日本のように年齢と学年が一致していませんでした。それはバラックに住む子どもたちに限ったことではなく、勉強クラブに来る子たちの中には年齢が10歳を過ぎていても、小学2年生という子もいましたし、10歳以上でも数字を書くことができない子どもも来ることがありました。その子とは数字の書き方を1から一緒に勉強しました。

2.貧困の現実

 バラックに住んでいる子どもたちの中で、勉強に関心を示す子がいました。飲み込みの速さも感じました。しかし、その子が勉強クラブに来ると、母親がすぐ呼びに来て家に連れて帰ります。勉強する時間があれば、家の仕事を手伝いなさいということだったのでしょう。貧富の格差が大きいA国では、たとえ勉強ができたところで、貧しい家の子どもたちがお金のかかる高等教育を受けることは難しいことです。

 日本でも「貧困の連鎖」というキーワードがこの数年知られるようになりましたが、まさにA国の現状はその文字の通りでした。子の親にしてみれば、自分の子どもが何かの勉強ができたところで、その先に良い学校に行けるわけではなく、良い仕事につけるわけでもない。子の将来に何のメリットもない。それなら今、家の仕事を手伝わせた方がより良いと。そのような考えのようでした。

 この状況は街を離れ農村に行けば、より顕著のように思われました。農村では子どもは働き手であり、学校に行くことのできない子どもが多い現実を知りました。

 家の手伝いが忙しい中、合間を縫って勉強に来ている子どもたちを見て、勉強クラブがほんの少しでも彼らの助けになればという思いはありましたが、そんなに簡単な話でもありませんでした。子どもたちは、最初は勉強を頑張っていても、その多くは続かずに途中で止めてしまうケースが多いことを知りました。モチベーションであり、やる気が長続きしないのです。

 勉強を頑張っても、高校や大学に行けるわけではなく、その先に何か希望があるわけでもなく、頑張って努力して勉強する意味がないと思っているようでした。まるで幼い子どもの時から、将来に対する希望がなく、全てをあきらめていようでした。この国の貧困の現実を垣間見たようでした。

3.勉強クラブから日曜学校へ

 のような勉強クラブから出会ったバラックの子供たちですが、やがて自宅で始まった日曜学校にも来てくれたことは感謝でした。(日曜学校に関してはまた別の機会にも再度書きたいと思っています。)

 赤や白、黒などいくつかの色を通して福音を伝える「字のない本」という方法がありますが、それは文字が読めなくても福音を視覚的に理解できるので、私はA国でよく使いました。聖書のことばを耳から入れて心に留めさせる暗唱聖句にも力を注ぎました。

 日々の過酷な現実の中でも、明るい顔をして毎週の日曜学校に近隣の子どもたちが集まってくるのは、私にとっても励ましでした。その子どもたちに賛美歌を教え、皆が一緒に賛美歌を歌い、そしてそれがバラックも含めた近所に響き渡ったときの感動を忘れることはできません。 

 数年間そのような状況は続きましたが、その後、バラックの子供たちのご両親が若くして相次いでなくなり、住んでいたバラックも壊され、その子供たちは遠くに住む別の親族のもとへと引き取られていきました。残念ながらその後、学校に行くのも止めてしまったと噂で聞きました。もう今となっては出会うことは難しいのですが、神の導きの中で、その子たちの人生の一部分でも共に時間を過ごしたことは忘れられません。神の守りと祝福が続けてその子たちの人生の上にあるように祈らされます。

 

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