南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記33【2期】キッズライブラリと日曜学校

 前回まで3回に分けて、勉強クラブの始まりから数年間の出来事について書きました。ここからは勉強クラブが始まった頃(2013年7月)に時を戻します。勉強クラブと時を同じくしてキッズライブラリ、そして9月には念願の日曜学校を始めることができました。

1.キッズライブラリの開始


 かつての大虐殺の時代に教育システムが壊滅したA国では、今なお基礎教育も十分とは言えません。学校の図書室にも本は少ないのが現状で、自分の本を持てる子はわずかです。そこで近隣コミュニティの子ども達のために、決められた時間帯に自宅の一部を開放して、一般の絵本や聖書のストーリーを分かりやすく描いた本などを備えた、小さなライブラリーのようなものができたら…という思いがありました。

 そのための絵本は、B市にある書店に行って買い揃えました。書店といっても、この国の書店で売られているのは、ほとんどが文房具で、売られている本は本当にわずかです。せいぜい児童向けの教科書や絵本などで、大人向けの書籍はほとんどありません。本を読むという習慣がA国にはほとんど無いのです。

 そのようにして、ある程度の絵本が揃ったところで「キッズライブラリ」を新しく始めてみました。実際に行っていく中でいろんな課題を感じました。自宅近隣のほとんどの子どもたちは、本を読みなれていないので、最初はいろんな絵本に飛びつくのですが、15分ぐらいしてくると、多くの子は頭が痛いと言い出します。最初の頃、1冊の絵本を最後まで読む子はほとんどいませんでした。集中力が終わりまで続かないのです。すぐに本を読むことを止めてしまい、遊ぶ方に夢中になってしまう光景がありました。 

    また、ある程度年齢を重ねていくと、たとえ小学生だとしても、幼い弟や妹の世話を多忙な親に代わってしなければならないようで、幼い兄弟を一緒に連れてきます。その場合、いつも幼い弟や妹の面倒を見なければならず、集中して絵本に向かうことがほとんど難しい状況でした。

 そういった中でも、やはり本が好きな子は何人もいるようでした。そういった子たちのためにはキッズライブラリは良い試みだったと思います。また聖書のストーリーが書かれた絵本もいくつか置いていましたが、その絵本に関心をもって、質問してくる子供たちもいました。改めて福音についてお話する良い機会ともなりました。

2.日曜学校の開始


 勉強クラブ、またキッズライブラリーが始まって2か月ほど経った9月に、日曜学校を自宅の一角で開始しました。これは勉強クラブとは違って、聖書を一緒に学ぶ時であること、そして参加にあたっては保護者の許可を頂いてくることを子どもたちに前もって伝えておきました。私も何度か子どもたちの自宅に伺って、親御さんと話す時もありましたが、総じて好意的でした。

 一番最初の日曜日、ドキドキしながら祈りつつその日を迎えましたが、20名ほどの子どもたちが集まってきたことは忘れません。一緒に賛美を歌ったり、そして聖書のストーリーをお話したり、最後にはゲームをしたりと楽しい時となりました。歌うことに慣れていない子どもたちも多く、最初はゆっくりと歌いつつ、何度も歌っているうちに自然と覚えて上手に歌えるようになりました。

 毎週の日曜学校に集まってくる子どもたちはとても元気で、その元気さに私の方がついていけなくなることがよくありました。他にも様々な問題が生じる中で、外国人である私たちだけで活動を続けることには限界があることが見えてきました。一緒にこれらの働きを担ってくださる助け手の必要を徐々に感じるようになりました。その中である教会と知り合うことになります。

 

3.他教会と協力をしながら

 A国の多くの教会(特に始まって数年の教会)は、やむを得ない事情から教会の看板や集会案内などを公に出していないところが多く、外からは教会の存在が分かりません。私たちが働きを始めたB市内でも、他に同じ信仰的立場に立つ教会があるかどうか、以前から調べてはいたのですが、分からないままでした。そんなある日、共通の知人を通して、そのような教会が同じB市内にも存在することが分かりました。

 早速、訪問したところ、その教会はフィリピン人の宣教師によって始められた教会でした。そして宣教師と色々と話す中で、同じ信仰的立場の者同士、バラバラで働きをするのではなく、協力できるところは協力し合って働きを進めていかないかとの提案がありました。この時から、この教会(B教会)との協力関係が始まることになりました。このB教会の青年たちが、勉強クラブ、また日曜学校の手助けに来て下さることになり、また私もこのB教会に赴いて説教などの支援することになりました。

 「宣教の働きは単独で行うのではなく、できれば複数で協力しあって、他の教会とも協力関係をつくりながら進んで行きたい。」という思いは私の中にいつもありましたし、結果的にこのやり方は私の性格にも合っていたのだろうと思います。

 この時から6年後、私たちがB市での働きを終えて首都に戻る時に、このB教会が私たちの開拓の働きを全面的に引き継いでくださったことは感謝でした。働きを引き継ぐときに、私の知人牧師が「開拓初期から協力関係をもって宣教をしていたので、互いのこともよく分かっているし、スムーズな引継ぎができますね。」と言っていたのが印象的でした。今から思うと、当初から全てのことに神の導きがあったように思います。

 B教会との協力関係の中で、それから1年ほど、自宅での勉強クラブ、そして日曜学校は続きました。多くの新しい子供たちが次々と近隣から集まってきて、聖書の話にも耳を傾けてくれたことは感謝でした。一方で大勢の子どもたちが集まるにつれて、自宅の一角でこのまま活動を続けていくことが難しく感じるようにもなりました。他にも様々な理由の中で、自宅以外で集会ができる場所を祈り求めるようになりました。

 

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