南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記36【2期】実感する神の守り

 A国で地方に住むということ、特に外国人で家族連れは大変だと現地の方々からも心配されました。首都であれば、大きな病院もありますが、地方ではそのような病院はありません。もし地方で大けがや、大きな病気をした場合は、遠く離れた首都もしくは他の大きな街の病院などに行かなければなりません。

 私たちは6年間に渡って地方(B市)に住みましたが、病気に関しては、デング熱マラリヤなどの大きな病気や致命的な事故などから守られたことを神様に感謝しています。何度か、治療のために首都の病院に行く必要はありましたが、緊急搬送を要するものではなかったことは、神様の守りでした。

1.牧師の子供の突然の病

 方に住んでいた時に印象深い出来事がありました。知人でもある現地の牧師家族が、ある時B市の私たちのもとを訪問してくれたことがありました。その日は街のホテルに泊まったのですが、深夜に緊急の電話がホテルから私のところにかかってきたのです。

 牧師の幼い息子さんが急に吐血をしたとのことで、すぐにこの街の病院に行きたいとの連絡でした。私はあわててホテルに駆け付け、牧師ご夫妻と幼い息子さんを深夜でも対応な可能な病院に連れて行きました。

 そこの医者は幼い息子さんの状態を見て一言。「ここ(B市)では対応は無理です。早く大きい街の病院に搬送した方が良い。」

 私たちが住んでいたB市から一番近い大きな街まで距離にして150キロ以上はあります。しかも深夜のことでした。しかし緊急を要するため、救急車(A国では有料です)を手配し150キロ離れた街の病院まで真っ暗な中を搬送することになりました。牧師の奥さんは突然なことで気が動転し、同乗した緊急搬送中の救急車内でもずっと祈っていたと後で聞きました。

 次第に明け方になって、走行中の救急車の車内にも薄明かりが差し、ふと車窓から外を見ると、そこにはちょうど道沿いに教会が建っていたそうです。そして夜明けの教会の屋根の十字架が奥さんの目に入ってきました。

 「あの十字架は本当に私にとって励ましでした。」と奥さんが後に語っておられた言葉を忘れることはできません。

 神様は今この時も共におられるのだと、神様は私たちを見捨てずに守ってくださるのだと。神様はそのことを通しても牧師夫妻を励ましてくださったのだと思います。

 その後、搬送先の病院で幼い息子さんは回復が与えられ、今は成長し元気にしています。祈りを聞いてくださった神様に感謝します。

2.車の突然の故障

 都から私たちが働きをしていた地方へは、車やバスでの移動しか手段がありませんでした。この国ではとても交通事故が多く、社会問題となっています。多くの車はスピードを出しすぎるのです。移動のために長距離バスに乗っていても、あまりのスピードに事故をしないかと冷や冷やします。少しでも運転手がハンドル操作を誤ったら、死亡事故に直結するからです。

 そのため、バスの横転事故なども多く、私の知人牧師が乗っていた大型バスも事故で横転したことがありました。それもB市の協力教会で説教するために首都から移動していた時のことでした。神の守りによって牧師は怪我もなく、その晩、普通に教会で説教をしていたのが印象的でした。

 「今日、この教会に来る時に乗っていたバスが横転しましてね。」牧師の説教の最初の言葉を聞く聴衆に驚く様子が見られなかったことに、私は逆に驚いたものです。A国ではよくある話なのでしょう。ですから、いつもバスに乗る時は祈りが欠かせませんでした。

 自分で車を運転するときは、事故がないようにかなりの気を使います。いくらこちらが注意していても、逆走車や交通ルールに違反している車が多く、それで事故をした場合は例え相手の方に非があったとしても、外国人ということだけでこちらの分が悪くなりますので、運転するだけで大変疲れます。また特に地方の道は、道中周りに何もないので、車の突然の故障にも心配します。祈りながらの運転です。

 ある日のことでした。首都から自宅への帰り道、私が運転していた車が突然故障して立ち往生したことがありました。周りを見てもそこは小さな村で車を修理できるような場所はなさそうでした。A国には日本のように電話一本で修理や救援に駆けつけてくれるような便利なシステムなどはありません。

 どうなることやらと途方に暮れました。とりあえず動かなくなった車を降りて、目の前の場所にいた人に「このあたりに修理屋はないですか?」と尋ねました。すると「ここですよ。ここが修理屋です」との意外な答えがあったのです。

 えっ?と思いその場所をよく見ると、ちょうど看板製作中で、まだ掲げられていない新しい看板には確かに修理屋の文字があります。その人に言われるまで全く気が付きませんでした。

 よくよく話を聞くとそこにいた若い職人さんは首都で数年間経験を積み、田舎に帰って自分の修理屋を開業する準備の真っ最中だったとのこと。その修理屋の前で丁度故障して動かなくなった私の車を見て、壊れた部品を首都から取り寄せ、一晩かけて的確な修理をしてくれました。私たちは近くの町で一泊し、翌日に修理が終わった車を受け取った時には、修理屋の新しい看板がその場所に掲げられていたのです。

「明日からオープンです。お客さん第一号は日本人でしたね。」と笑う職人さん。印象的な出来事でした。神の守りを実感した時でした。

 宣教の働きの中で、気落ちするような出来事は多々ありますが、時々神様は不思議なことを通して、励ましてくださるお方です。神様に寄り頼むしかない状況であればあるほど、神様の守りを強く実感することが働きの中で何度もありました。

 

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