南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記32【2期】勉強クラブ③

 手探りで始めた「勉強クラブ」。始めてみた中でA国の抱える多くの現実を目の当たりにしました。今回は、A国の多くの家族、家庭が抱える現実について感じたことの記録です。

1.家族の現実

 強クラブに集まる子供たちの自宅を定期的に訪問していました。私たちのことを知って頂くために、そして関係の構築を目的として訪問していました。

 驚いたことに、訪問した子供たちの家の多くには、両親の姿が見当たりません。最初は不思議に思いました。そしてよく話を聞くと、同居している祖母がその孫にあたる子供たちを育てていました。「子供たちのご両親はどちらですか?」と聞くと、「仕事で遠くに行っていてここにはいない」とのことでした。

 私たちが働きをした地方は隣国との国境に接していおり、隣国が近いため多くの両親は子供を実家に預けて、出稼ぎのために国境を越えて隣国に渡るケースが多いようでした。隣国に行った場合、子供たちのもとに帰ってくるのは正月と盆の1年に2回ほど。それも数日間とのことでした。そしてそのようなケースがこの地方では珍しいことではなく、かなり多いことに驚きました。勉強クラブ、日曜学校に参加する子供たちの多くは、両親共に不在なのです。

 ある時、集会のためにある村に行ったところ、その村にいるのは年配の方々、特に女性と子供たちだけでした。男性や若い人たちがいないのです。「皆仕事で隣国に行ったよ。」仕事がなく、家族を養うためには、家族や子供を残して遠い場所にまで出稼ぎに行かなくてはならない宣教地の現実を見ました。

 また、私が個人的に出会った20代の夫婦は、何度か教会の集会にも足を運んでくれましたが、子供が生まれてすぐ、遠い実家に赤ちゃんを預け、夫婦共働きで仕事をしていました。自分たちの赤ちゃんの成長を見れないのは寂しいが、ここで生活していくためには仕方がないとのことでした。両親が直接子供を育てないということは、事情があるとはいえA国では珍しいことではないということを知りました。

2.遠く離れた母へ

 々、勉強クラブや日曜学校を通して関わった何人かの幼い子供たちが、私に手紙を書いて教会のポストに入れてくれることがありました。その手紙の中で何度も書いてあった言葉は「2番目のお父さんへ」。それを見て微笑ましく思ったのと同時に、両親が近くにいないことに対する子供たちの複雑な思いを感じ取ったことを覚えています。

 その頃、教会に来ていた一人の高校生の男の子がいましたが、その子のお母さんも出稼ぎで長らく他国に行っており、この国では祖父母宅に同居していました。「高校卒業したら、首都に進学とか就職とかで行きたくないの?」とその高校生に聞きました。「いや、行きたくない。この街がいい。」「どうして?」「お母さんが帰ってきたら、一緒にずっと住みたいから。」高校生の男の子の発言にしては少し意外に思いましたが、母と長い間離れ離れになっているということから来るのであろう一抹の寂しさを彼の言葉から感じました。

 かつての大虐殺の時代にこの国の家族制度は崩壊したと言われています。強制的に家族は離散させられ、もし親が反体制的なことを口にしたら、子であっても告発するように教え込まれたと耳にします。上からの命令による強制結婚が広く行われたようです。その影響は、今なおA国の家族関係というものの中に強く残っています。家族親族以外の他人は誰をも信用しないという強いきずなを思わせる一面で、表現するのが難しいのですが、どこか言いようもないような希薄さをも感じることがありました。

 私の知人に対してある中年世代のA国人が言ったそうです。「自分は、子供をどう育てたらいいのか分からないんだ。」

 大虐殺の時代、そしてそれが終わった後の長い内戦と混乱期に、ある両親は殺され、ある両親は行方知れず。家族の愛やぬくもりというものを経験することがなかった世代。彼らはいざ自分たちが家庭を持ったときに、自らの中に家庭というものに対するイメージ、その模範や手本が無いことに困惑しているのです。

 いまA国の社会問題のひとつは家庭内暴力とも言われています。政府はマスメディアを使って、躍起になって啓発しなければならないほどに、多くの家庭でこの問題を抱えているようです。私たちがA国で関わった子供たち、その家族、また私たちの身近なところでもこの悲しい出来事を見聞きすることがありました。この国における家族というものの現実を、勉強クラブに来る子供たちを通して、改めて見せつけられました。

 その中で、神様が与えてくださる本当の愛、そして本当の平安と希望、救いを知ってほしいという思いで訪問を続けていましたが、残念ながら、キリスト教は家族を大事にしない宗教、家族を敬わない宗教という誤解がA国の中に強く浸透している事実も知りました。

3.保護者をお招きして

 のような現実の中で教会は、私たちは何ができるだろうかと考えました。後に教会としての活動が始まってからは、「家族」に焦点を当てて、子供のご両親や保護者、兄弟や親族を教会にお招きする特別な集まりを何度も行いました。また「本当の愛」をテーマにした特別の集会も行いました。家族の中でも「愛」というものが混乱し、傷つきあっている中にあって、まことの神の愛、そして希望というものについて、聖書から知って頂くことを目的としました。

 これらの機会を通して、普段子供たちを世話しているおばあちゃんたち、また保護者、親族の方々が教会に足を運んでくださり、聖書のことばを、また福音を耳にする機会があったことは感謝でした。

 福音は本当の意味で人を変え、そして福音を受け入れた者を通して、聖書のことばを通して、神の力、神の愛を知ることを通して、家庭もまたより良い方向へと変わっていくことができる。そこに希望があると信じて働きを続けました。

 

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