南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記22【1期】肉のとげを通して

  現地語による説教奉仕が始まった2009年から、現地教会での他の働きなどもあって、数ヶ月に渡って気が休まらない日々が続いていました。初めて現地語による奉仕が任せられたこともあって、その奉仕に全力を注いでいた半面、知らず知らずのうちに体の疲れがたまっていたことに気づきませんでした。そのうちに、たまっていた精神的また肉体的な疲労が目に見える形であらわれてきました。

1.ひとつの小さな肉のとげ

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 思い返すと2010年初旬ぐらいから、体調の違和感を薄々と感じつつありました。今まで経験したことのない違和感でしたが、当初はあまり深刻には考えていませんでした。

 しかし、しばらく経っても一向に違和感は改善せず、ある日の深夜に突然激しいめまいの発作が起こり目が覚めました。翌朝になっても発作は続き、とりあえず小さなクリニックでめまい止めの点滴をしてもらい一旦症状は落ち着きました。

 それからもしばらくの間、落ち着いたと思ったら軽い再発があるなど、症状はなかなか治まりませんでした。現在のA国の医療事情は昔よりも進んできていますが、当時は詳しい検査や治療はA国では難しく、現地の様々な方々からアドバイスを頂いた上で、隣国に行って治療を受けることとなりました。

 病気治療のために国境を越えて隣国に渡らなければならなかった宣教師を今までも何人も見てきました。しかし自分が行くことになったのは初めてのことでした。A国を離れ隣国に入国すると、そこはまるで別世界でした。建物も空港も何もかもが大きく、また人の数も多く、圧倒される思いでした。隣国首都にある病院に行き、専門科にて精密検査を受けることができ、とりあえずは薬で治療できるとのことで一安心でした。

 しかし、それからというもの数年ごとに同じ症状が繰り返し出て、その度ごとにその症状に悩まされることになりました。発作が再発する度に動けなくなる日々が続きました。また何度も発作を繰り返す中で、体が非常に疲れているときに症状が出やすいことが段々と分かってきました。

 初めての発作から数年経って治療を受けた病院で、ある病名を告げられ、その病気だと思われるとの診断がありました。完治は難しく、上手に付き合っていかないといけないと。今まで大きな持病らしい持病はありませんでしたので、「今後も長く付き合っていく病気」だと知らされたときには、なかなかその事実を素直に受け止めることができませんでした。

 ある宣教師にそのことを話すと「それは神様から与えられた肉のとげのようなものかもしれませんね」と言われたことを覚えています。聖書に書かれているパウロの「肉のとげ」とは彼の体に与えられた何かの病の可能性もあるように言われています。もちろんパウロの肉のとげに比べたら、私の肉のとげは極々小さなものです。とはいえ、できれば避けたい思いもあります。

 しかし、視点を変えるならば「肉のとげ」とは体に与えられたリミッターのようなものであって、知らず知らずのうちに状態がもっと悪い方向へと進んでいかないために、「肉のとげ」が守ってくれているという事実もあるのだと思うようになりました。

 

2.肉のとげを通して

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 宣教地での持病の発症を通して、それまでの考え方や動き方からの転換が求められているように感じました。その頃を振り返るならば、ただひたすら無我夢中に走っていたような状況だったと思います。必死に取り組んでいたからこそできたこともあるのは事実です。しかし、年齢を重ねるにつれて、思いに身体がついていっていないことに気づいていませんでした。

 今から考えるならば、当時は心と体のバランスが崩れていたのだと思います。そのような意味では、病の発症はそのことを気づかせてくれた一面もありました。

 当時の病の発症を通して、考えを改めた点をいくつか記します。

①無理をしないように心がける

 病気を発症した後は、なるべく無理をしないように心がけるようになりました。特に発作の前兆のようなものがあれば、意識的に休息を取るようにしました。

 定期的に体を休める時を取らなければ、結局のところ体調のバランスを崩すことになり、もっと長い休みを取らざるを得なくなります。一度体調を崩すならば、回復にはその何倍もの時間がかかります。そうならないように、意識的に休息することが大切なことを、一連の出来事の中で学びました。

 ある信仰書にもこのように書いてあったことが強く印象に残っています。『神様が安息日を定められたように、人間にとって身も心も休む日は必要。牧師も宣教師も、自分自身で休息日を決めて、その日は大切にしなければならない。そうでなければ、倒れてしまう。他人任せではなく自分自身で自らの健康を管理しなければならない。

 ある日、街の中で知人の宣教師にばったりと出会いました。数年ぶりの再会でした。一緒にベンチに座り話を聞くと、知人の宣教師は自ら燃え尽き症候群のような症状で長く苦しんでいると話してくれました。そして懇々と諭してくれました。「過労に気をつけなさい。絶対に無理をしてはいけない。そうでないと、私のようにつらい思いをすることになるから。」そのアドバイスがとても心に染みたことを覚えています。

 賜物が人それぞれ異なるように、与えられている器の容量も人それぞれ異なります。限界となるポイントも一人一人異なるのです。それは牧師も宣教師も伝道者も変わりません。他人と比較してではなく、他人に合わせてではなく、他人任せでもなく、他人の目を気にしてでもなく、自分自身で自らのリミットを知って、そのリミットを超えないように注意する必要があることを感じています。

 

②自分にできないことは他人にゆだねる

 病を発症する中で、自分にできないことはできないと率直に認め、時には他人に任せるということの大切さを知りました。発症するまでは、何でもかんでも自分ひとりで頑張ろうと、ついつい思ってしまいがちでした。誰かに任せたり、委ねたりということが苦手だった気がします。でもそれは間違いでした。

 宣教の働きは私一人で全部のパートをおこなうことではありません。数年前にある牧師に言われた言葉を今でも思い出します。「一人単独で行うよりも、何人かで協力しながら行う宣教の働きもいいのではないですか。」もちろん人それぞれの賜物や行き方がありますが、一人よりも二人の方が祈りあえ、支え合えるという面はあるのだと思います。

 私はこの病をきっかけとして、自分ひとりでは明らかに無理と思われること、また自分に与えられた能力や賜物の範囲を明らかに越えていると思われることに対しては、あえて手を出さないことに決めました。それは神様が自分ではなく、他の誰かに望んでおられる働きかもしれないからです。

 また、もし信仰の立場が同じ同労者が周りにいたら、協力や支援をお願いすることをためらわないようにしました。このことは、やがて私自身がA国の地方で新しく集まりを始める時に、自分ひとりで全部を抱えて行うのではなく、近くの交わりができる教会と一緒に協力しながら働きを行うというやり方につながっていきました。このやり方は私の性格や賜物にも合っていたと思います。

 

3.肉のとげと神の配慮

 私自身、ひとつの「肉のとげ」が与えられた時に、周りを見ると多くの宣教師も「肉のとげ」で苦しんでいる事実を知りました。

 今もA国で働いている知人宣教師も長い持病で苦しんでいます。彼はある時、このような文章を記していました。

「私は身体の痛みや身体の制限が少なくなることを望んでいますが、病のいやしによって満足するという罠に陥らないようにすることの方が大切です。私の満足は、この人生の中でのいやしではなくキリストであり、希望と喜びもキリストにあるべきなのです。私は私に対する神のみこころを知りたいと願い求めていますが、ひょっとしたら神のみこころ、すなわち神の最善は、いやしではないかもしれません。慢性的、長期的な病気を抱えている人は、この戦いをよく知っているでしょう。…」

 持病やとげの中にも、何かの神の計画があり、神は常に最善をなさるお方である。そして身体の弱さを通しても神様は何かのことを教えようとされている。そのことを忘れないようにしたいと思わされています。

 後にA国の地方に移住して働きをおこなっている時には、私の持病もそうでしたが、特に家族の健康に関しては祈らされました。日本の教会の皆様にもいつも祈って頂きました。もしその地で大きな怪我や病気をした場合、治療のために300キロ離れた首都の病院まで行かなければならなかったからです。

 何回か私の持病が再発した時には、首都まで通うこととなりましたが、それでも家族共々、熱帯病などの大きな病から守られたことは感謝でした。健康には留意しながらも、最終的に健康を支え、体を守ってくださるのは神であることを、また与えられる「肉のとげ」にも何かの理由があり、背後には深い神の配慮があることを、これらの経験の中で改めて教えられました。神はいつも神の目から見て最善をなさいます。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

 

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