南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記23【1期】1年間奉仕した教会にて

  2009年秋より、首都近郊にある教会(F教会)にて、アメリカ人宣教師が母国へ帰国している間、毎週の夕拝での説教を任せられました。奉仕を始めてから約1年を迎えた2010年に宣教師がアメリカからA国へ戻ってこられ、F教会にて任せられていた務めを終えました。

 途中、病気を患ったり、いろんな出来事がありましたが、無事に責任を果たし終えることができ安堵の思いで一杯でした。

 最初は慣れない現地語の説教の中で、自分の伝えたい思いをなかなかA国語で伝えられない、また相手に伝わらないというのは大きなストレスでした。まるで気持ちが空回りしているようでした。完全に自分の力不足でした。

 毎週のA国語による説教準備も大変でしたが、この経験は数年後にまた別の教会での奉仕につながることになりました。一歩一歩と階段を昇るように、必要な奉仕や働きへと神は導いてくださったのです。

1.伝わらない説教

f:id:krumichi:20211203105416j:image

 「最初、先生の説教は、何を言っているのか全然分かりませんでした。でも、先生が熱心に話している姿を見て励まされました。」 

 最後の説教の日、約1年間奉仕をしたF教会のメンバーの方々が集会の中で一人ひとり挨拶をしてくださいましたが、口を揃えて言われたことは「最初は先生が何を言っているのか全然分かりませんでした。」

 初めの頃の説教は、よっぽどひどかったのだろうなと心の中で苦笑いしながら、かつ申し訳なく思い、またメンバーの方々の忍耐と祈りに感謝しながら挨拶を聞いたことを覚えています。

 私としては毎回、精一杯の準備をして臨みましたが、いつも大変緊張しながら無我夢中での奉仕でしたから、発音や言い回しのミスはたくさんあったのだと思います。

 「先生、この前、皆さん目を開けて祈りましょうとか言っていましたよ。」(私としては目を閉じてと言ったつもりの発音ミス。)

 「先生、時々説教に日本語が混じるんですよね。」(自分としては、全部A国語を話していたつもりだが、発音が下手で伝わらず日本語と思われていた。)

 そう言って、にこやかに私のミスを指摘してくださったF教会の方々には、当時を振り返った時に感謝しかありません。そのような率直な指摘によって、私も働きの中で一歩一歩と成長することができました。

 パウロはこのように聖書の中で記しています。「舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。(Ⅰコリント14:9)」

 このことを身をもって実感した思いでした。自分の話す言葉が明瞭に相手に伝わらなければ、それは空気に向かって話しているのと同じことになります。例えどれだけ時間をかけて外国語による説教を準備したとしても、結果的に空気に向かって話していることになれば、それは悲しいことです。

 そうならないように、海外宣教に関わる者は努力しますし、神様がみことばを通じてその人の心に働きかけてくださるように祈らされるのです。

 いつも説教の後に、今日も上手にA国語を話せなかったと落ち込んでいる説教者を前に「恵まれました」「教えられました」「ありがとうございました」と口々に言ってくださったF教会の方々によって、私は励まされ前に進むことができました。

 宣教師は現地の教会を建て上げるために出かけていきますが、宣教師自身も現地の教会との関わりによって育てられていくのです。

 

2.現地の教会での経験

f:id:krumichi:20211203020337j:image

 約1年間奉仕をしたF教会では、現地の伝道者と一緒に伝道に行ったり、野外集会に行ったり、様々な働きを共にしました。その中で現地の教会と伝道者から多くのことを学ぶことができましたし、私にとって貴重な経験でした。

 多くの宣教師は、母国から宣教地に派遣されて最初の時期(1期)は現地語の勉強をします。最初の時期、言葉の勉強に専念できるというのは恵みですし、またそれからの働きのためにとても大事なことです。

 以前ある宣教師と話す機会がありましたが、様々な事情の中で宣教初期に言葉の勉強を短期間しかすることができなかったとのこと。それは長い目で見て失敗だったと言われていたのが印象的でした。

 宣教の働きが本格的に始まると、言葉の勉強のために時間を取ることが難しくなります。もちろん外国語の勉強には終わりがありませんから、常に習得する思いはいつになっても必要なのですが、語学のためにまとまった時間と労力が割けないのです。

 そのような意味で、宣教師として最初の期間にしっかりと語学のために時間を取ること、語学に専念すること自体が働きであるととらえること、そのことが将来の働きにつながることを心に留める必要があるように思います。

 場合によっては、第1期の中で現地語を学ぶ前にまず英語を勉強することが必要になるかもしれません。ある宣教師は、宣教1期にまず第3国に渡り英語学校で勉強され、それから宣教国に入って現地語を勉強されました。多くの国で現地語は英語を通してでしか学べないことも理由の一つです。宣教師それぞれに色々なケースがあります。

 語学を続ける中で、現地語がある程度理解できるようになると、多くの宣教師は新しく教会を始める前に現地教会で奉仕をします。その時点で教会を新しく始める宣教師もいますが、比較的少ないように思います。

 そのような現地の教会での奉仕の期間は、とても大切な期間だと私は思っています。私はその機会の中で、できれば現地の伝道者と共に働きたいと願っていました。それは、現地のクリスチャン、また現地の教会のスタイルをより深く知りたいと思ったからです。

 母国の教会のスタイルと、宣教地の教会のスタイルは同じではないからです。もちろん同じ点も多くありますが、様々な違いがあります。初期にその違いを理解することは大切ですし、そうでないと現地に「母国のスタイルの教会」を建て上げることにつながります。

 私は今までA国内のいくつかの教会に出席する機会がありましたが、A国に遣わされた宣教師の母国のカラーやスタイルというものが、宣教師の関わる教会には自然と滲み出るように感じたことがあります。

 西洋人宣教師が関わる働きには西洋的なカラーが滲み出ます。アジア人宣教師が関わる働きにはアジア的なカラーを感じます。私が関わった働きは、自然と日本的なカラーが周囲には感じられたことだと思います。それはある特定の文化をまとった人間が関わる以上、自然なことですし、決して画一的ではないそれぞれの特色ある地域教会の素晴らしさともいえます。またその色々なカラーが宣教に用いられることもあります。

 ただその中で、私としては母国である日本のスタイルをそのまま現地に持っていくのではなく、できる範囲で現地のスタイルを尊重したい、日本の匂いではなく現地の匂いがする教会を建て上げたいという思いがありました。どのようなやり方が良いかそうでないかではなく、これは私個人の願いから出たことです。もちろん私のような外国人が関わる以上、決して簡単なことではないですし、実際に経験した中で言えるのは、難しいという一言です。ただその思いは心の中にいつもありました。

 そのような意味で、宣教1期に現地の伝道者とある期間共に働けたのは、私にとって貴重な機会でした。何をすることが良いのか、何をすることが現地では受け入れられにくいのか、そのことを身をもって学ぶことができました。

 私が今まで宣教地でしてきたことの多くは、現地教会スタイルの「模倣」とも言えます。「独創的」なことはほとんどありません。あえて言うならば現地教会のやり方の「模倣」に自分なりの考えやアイデアを少しずつ付け足してきました。そのことが聖書の指針に反していない限り「模倣」から始まることは決して悪いことではないと私は思います。

 

3.召天と神の時f:id:krumichi:20211203020946j:image

 このF教会で説教の奉仕をしたのは、今この文書を書いている時点(2021年)から振り返ってもう10年以上前になります。

 あの時にF教会で一緒に礼拝していた2人のご婦人は、あれから病気によって先に天国へと行かれました。それぞれまだ幼い子供さんを残しての召天でした。教会にとっては大きなショックでした。身近な方が召天されたと聞いた時に、A国の医療の現実を知る者として、もし日本の医療水準だったら助かったのだろうかと思うこともあります。でも、こればかりは分かりません。

 ただA国では、日本よりも「死」というものを身近に感じることが多いのも事実です。後にA国の地方で新しく集まりを始めましたが、その集会に何度も来てくれたクリスチャン青年がいました。彼も、ある時事件に巻き込まれ天に召されたとの話を聞いて絶句しました。まだ若かったのに。

 同じく地方で始めた集まりにいつも来てくれた中学生の女の子がいました。その子は私たちとの出会いの中で、福音を受け入れることができ嬉しかったのですが、話を聞くとその子の両親は既に病気でなくなっていました。親族のもとにあずけられているのですが、親族の事情で各地を転々としていました。私たちとの出会いから数年して、彼女はまた遠い場所にある違う親族のもとへと移っていきました。

 ある地方に住んだ時に、自宅の近くにはバラックがありました。自宅を開放して日曜学校を始めた時に、そのバラックから男の子がいつも参加してくれました。両親と同居していましたが、ある日お父さんが病気でなくなり、しばらくして、お母さんも相次いでなくなりました。その子は姿を見せなくなりました。その後親族に引き取られていったと聞きました。

 医療が進んでいる国では、普段の生活の中で「死」というものを身近に感じることは、少なくなっているのかもしれません。しかし、A国に住んでいると、肉体の「死」という現実を身近に感じられることがあるのです。いのちは神のもの。そして全てに神の時があることを、福音を伝えていくことの大切さを、A国の働きの中で強く覚えさせられています。

 

前回の記事はこちらから▼

krumichi.hateblo.jp