南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記27【2期】地方の街への引っ越し

今回から2期の記録に入ります。宣教師によっては、1期4年間と年月で区切るケースも多いですが、このブログでは働きの場所によって区切っています。主に首都で奉仕をした2007年から2012年までの6年間を1期、そして地方に働きが移った2013年から2018年までを2期、その後また首都に移った2019年から帰国した2022年までを3期としています。

 2007年から行われてきたA国首都での務めを終え、2013年の5月にかねてからビジョンを持っていた地方の街B市へ距離にして約300キロの引っ越しをしました。この街での家探しに関しては、こちらもどうぞ。

1.トラックでの引っ越し

 

 の国では日本のような引っ越し業者をほとんど見かけません。普段お米などを運んでいるトラックを1台貸切って、自分たちで荷物をトラックに積み込んで、指定する場所まで持って行ってもらう方法が、荷物が多い場合の引っ越しの一般的なやり方です。引っ越し当日は、まだ涼しい早朝の5時に作業がスタートしました。荷物の積み込みに関しては、今まで奉仕をしていた教会の方々が手伝いに来てくださり、大変助かりました。

 荷物を全部載せ終わり、運搬はトラックの運転手にお任せし、私たち家族は自分たちの車で引っ越し先へ向かおうとしていました。その時に教会の牧師が言います。「トラックの助手席には誰も乗らなくて大丈夫ですか?」どうやら、道中で私たちの荷物が盗まれることを心配していたようです。日本では、引っ越し業者を信頼できないからと言って、一緒に引っ越し先までトラックに同乗していくということは滅多にありませんが、この国では何が起こるか分からない。結局、自分の身は自分で守らないといけないということが根底にあります。

2.他人を信用しないで

 いですか。これから引っ越しをされる先でも、絶対に他人を信用しないでください。これだけは言っておきたいのです。」今までお世話になった家の大家さんに、最後の別れの時に強く言われた言葉が印象的でした。いつも柔和でニコニコしておられる大家さんが最後に言われた重みのある一言。大家さんなりの親切と心配からの言葉だったのでしょう。その頃、A国のある地方の街で、宣教師が金銭目的の強盗に襲われる事件があったことも踏まえてかもしれません。

 以前、この国で子供向けの絵本を見たことがあります。その絵本は最後のページにその絵本全体の教訓でありまとめが書かれているのですが、私が見た絵本には一言「他人を信用してはいけません。」

 これには驚きました。もちろん日本にもいろんな出来事はありますが、子供向けの絵本にそんな強烈なメッセージを書いている日本の絵本は見たことがありません。

 A国ではかつての大虐殺の時代に、多くの人たちは裏切りにもあい、そして命を落としていったと聞きます。それからも内戦が続き、厳しい時代は続きました。その中で、これは決してA国に限ったことではないと思いますが、基本的に他人を信用していないのではないかと感じることが多くありました。信用しているのは家族そして親族のみ。そしてその結束はとても強固に感じました。

 私が関わってきたA国の教会は、多くの場合、教会内でも親族間で固まる傾向があるように見えます。教会でも、何かのことをみなで協力し合って行うことがなかなか難しいとある宣教師に聞いたことがあります。そのような意味では、ハウスチャーチ(家の教会)がA国では多いと耳にするのには理由があるように思います。

 そのような中で、私のような外国人だからこそできることがあるということも気づきました。外国人だからこそ、しがらみに関係なく、いろんな環境やコミュニティの中に飛び込んでいける。もちろん言葉の壁がある故に、完全にコミュニティの中に入り込むのは難しいかもしれない。でも、福音を携えてまず関わりを持っていくためには、外国人やよそ者だからできることもあるのです。

 神様があえて外国人を選び、そして宣教の場に遣わされるのには意味があるように思います。そしてそれは日本も同じです。日本人同士だと難しいことが、外国人宣教師だとできることもあります。また、以前あるアメリカ人宣教師が日本の風習について語られた時に、今まで気づかなかったその意外な視点に驚いたことがあります。海外からの視点でなければ見えないことも多くあります。日本には今後も外国人宣教師の視点が必要です。そして、海外でも同様に日本人宣教師の視点は用いられるのだと思います。

3.新しい住まいにて


 前にも書きましたが、B市での新しい住まい探しは難航しましたが、最終的に住むべき家が与えられたことは感謝でした。家族みながその家を見た時に、探していたのはこの家だと平安をもって言えるような、まさに神様が用意してくださっていた住まいでした。

 何かを祈り求める時に、聖書には「探しなさい。そうすれば見出します。」とあります。それはただ闇雲に探しまわるというよりも、信仰によって神様が既に備えてくださっているものを見つけ出すという言いかたの方が自分にはしっくりときます。宣教地ではそのような体験をしたことが何度もありました。

 街中をくまなく回った家探しでしたが、そのことによってこれから働きを始めるB市の街全体の様子を知ることができたのは、結果的に幸いなことでした。長い時間をかけた労苦も、後から振り返ると何かの意味があったことが分かるのです。

 新しい家の大家さんは、年配のクリスチャンの方でした。かつての大虐殺の時代、兵士から見つからないように聖書を隠し、そして生き抜いた生き証人でした。私が初めて出会った時には80代後半でしたが、とてもお元気な方で、いつも会話の中で「神様」が口から出てくる方でした。

 このB市の家には6年ほど住むことになりました。6年後、再度首都に働きの場が移ることになり、引っ越すことになりましたが、その時に大家さんは私たち家族のために改めて祈ってくださいました。大虐殺の時代をただ信仰によって生き抜いてこられた大家さんの祈りは、一つ一つの言葉に重みがある、本当に重い祈りでした。その祈りは、新たな出発をする私たち家族を慰め、また励ましてくれました。

 ヤコブ書には「長老を招き…祈ってもらいなさい。」という箇所があります。今の恵みの時代、私たちはキリストの御名によって父なる神に直接祈ることができます。第三者の人間を介する必要はありません。直接神に祈れるのは、イエスの十字架の故に私たちに与えられた素晴らしい特権です。その特権に日々あずかりながらも、時に長年信仰を積み重ねてこられた方々に祈って頂く時に、その祈りと信仰に励まされ、また力づけられる思いがすることも事実です。1人で祈ることも大切です。しかし「互いに祈りあう」ことも神様は求めておられます。祈りを通して、互いに励ましあうことを神は望んでおられるのだと思います。

 

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