南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記26【1期】牧師不在の教会での奉仕

 1年間の帰国日程を終え、2012年にA国に戻りました。当初はA国に戻った後、地方の街へ新しく集まりを始まるためにすぐに引っ越す思いがありましたが、かつて出席していた首都近郊にある教会の開拓宣教師(牧師)が1年近く母国に戻られるとのことで、不在の間教会をあずかってほしいとの要請があり、祈りのうちにその働きを引き受けることとしました。地方に行く前にもう1年間首都に留まって奉仕をすることになりました。

1.一度は去った母国に戻った宣教師

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 その教会はC教会といいますが、教会を始めたのはA国人の宣教師でした。かつて大虐殺があった時代に、命からがら歩いて国境を越え、隣国に脱出したのです。そして難民としてアメリカに渡り、その後、アメリカの教会で福音を聞いて信仰を持たれました。そして今度は宣教師としてアメリカの教会から派遣され、ご自分の母国であるA国に戻り、首都近郊にてC教会を開拓し牧師として働いておられました。

 「本当は私はこの国に帰ってくるつもりはなかったんだよ…。」ある日ぽつりと言われていた言葉がとても心に残っています。かつての大殺戮の時代を経験したトラウマがあるのかもしれません。それでも家族を連れてA国に戻ってきたのは、ただ神の召しと導きがあってのこと。

 以前その宣教師は説教の中でこう語っておられました。「私は両親も兄弟も大虐殺の時に、兵士によって殺されました。アメリカに渡った後によく聞かれました。『もし今、あなたの両親を殺した奴が目の前にいたらどうするか?』『復讐したくないか?』と。でも、今ならこう答えます。ローマ書に書いている通りに『復讐は神がなさることです。神の怒りに任せます』と。」

 私はその宣教師が抱えておられる思いの深さの全てを思いはかることはできません。心の中の奥深くの悲しみや抱え続けている様々な感情の全てを思い知ることはできません。ただ、聖書にはその箇所の前後に、このように書かれています。

「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。・・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12章)」

 この聖書のことばは、かつて大虐殺の時代を経験したA国の人々にとって私たちの想像以上に重いことばなのだと思わされるのです。

 

2.毎週の説教奉仕

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 開拓宣教師がアメリカに戻られて、毎日曜3回の説教奉仕が始まりました。以前、F教会にて奉仕した時は毎週1回の説教で、しかも現地伝道者が責任者として教会におられましたから、私はただ説教奉仕に集中すればよかったのですが、今回の奉仕は、その時よりも責任がかなり増えました。

 毎週3回の説教の準備は、平日のかなりの時間を費やしました。この国の多くの教会で好まれて使われている聖書は、かなり前に翻訳されたもので、言葉使いが古く、特に若い人たちは聞いても理解しにくいという話を聞きます。(日本語の文語体をイメージして頂いたらよいかもしれません。)

 また神様に対して用いる言葉で、日本語は敬語を用いるように、A国語では「王様用語」を使います。「食べる」という言葉ひとつでも、日本語では「食べる」「頂く」「召しあがる」などいろんな表現がありますが、A国語も同様に、一般人、丁寧語、お坊さん、王様など対象によってたくさんの「食べる」表現があります。A国語聖書では神様に対して使う「王様用語」も、一般的にはあまり用いない難しい言葉で、特に教会学校などの子供たちには理解しにくいことがあります。難しい単語をいかに分かるようにかみ砕いて話すかが、外国人説教者の頭を悩ませるところです。

 聖書の学びの時に「試練」という言葉を用いて、この言葉が分かりますかと聞いたら、分かりませんと返ってきました。その場合、「試練」という言葉を使わずに、他の言葉を用いて説明しなくてはなりません。また、「新生」の話をしたときに「それは転生のことですか?」と返されたこともありました。仏教の輪廻転生の考えと混同しているようでした。この場合も、新生の教えを学びを通して、また説教を通して正しく伝えなくてはなりません。

 10年近くの働きの中で「信じる」という言葉にも、配慮が必要なことが段々と経験の中で分かってきました。A国語の「信じる」という言葉には、時々人によっては「認める」というニュアンスでとらえられていることもあるように感じています。つまり、目の前の方に福音をお伝えして「あなたはこのことを信じますか?」と言ったつもりが、ある方からすると「このことを認めますか?」というニュアンスで伝わることもあり得るということです。

 「認める」と「信じる」は日本語では意味が違いますが、A国語では大きな違いではないようです。片や「この人は神を信じた」と言い、片や「いや認めたが、信じてはいない」と。同じ言葉だったとしても理解に違いが生じてしまうのです。これは問題です。

 この問題を避けるために、私は「信じますか」だけでなく「信じ受け入れますか?」という言葉を伝道や説教の中で用いるようになりました。少しでも誤解を防ぐために、よりよく意味が通じるように、外国語を使う説教者にとっては言葉の失敗や誤解が起こることは避けられませんが、それらを繰り返さないためにも努力が欠かせません。

 

3.任せられた奉仕が終わって

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 約9か月に渡った牧師(宣教師)不在の教会をお預かりしての奉仕は終わろうとしていました。毎週3回の説教奉仕は、準備が大変でしたが、この準備の中でも多くのことを学び、また祝福を頂くことができました。

 最初、教会をお預かりした時に心がけ、またC教会の皆さんにもお伝えしたことは、当たり前のことですが「自分はこの教会の牧師ではない」ということでした。そして、自分自身のスタイルを教会の中で出さないよう努めました。私が責任もってその教会で奉仕をするのは一時に過ぎず、またいずれその教会の牧師が帰任される訳ですから、牧師のスタイルが自分のスタイルと異なる場合は、自分の確信とは異なっても、牧師のスタイルに合わせるようにしました。

 宣教師(牧師)がアメリカから戻ってこられ、私の奉仕最後の日、教会では集会の後に皆さんが様々な形で感謝を示してくださいました。本当に感謝であふれた慰められた時でした。ある男性からは、A国語の新しい聖書を頂きました。彼にとって新しい聖書を購入するというのは、経済的にも大きな犠牲でした。でも、真新しい聖書と共にその気持ちを嬉しく受け取りました。そのA国語聖書は、帰国した今でも用いています。

 以前、宣教師は現地の教会の方々によっても、育てられると書きました。聖書には「互いに」という言葉が何度も出てきます。宣教師と教会、また外国人と現地の方々は、決して上下のような関係ではなく、互いに仕えあう。そのことを私は現地の教会の奉仕で学びました。

 宣教第1期(2007年~2012年)は首都の教会での働きでしたが、現地で多くのことを学ばされ、また経験をすることができました。それは地方に行って新しい集まりを始める第2期に確かにつながるものとなりました。全ての出来事や経験は決してむだではなく、益へと変えてくださる神様に感謝します。

 ※宣教第1期の記事は今回で終わりです。次回からは地方へ移っての第2期に入ります。

 

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