南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記28【2期】洪水の中で

   A国の地方の街B市に引っ越した2013年のことでした。A国では例年雨期の終わりの時期に大雨が降りますが、この2013年は特に長い期間に渡って大雨が降り続き、B市内を流れる川が氾濫したのです。一晩にして、私たちの住んでいる地域を中心に洪水となりました。

1.突然の洪水

 る日のこと、朝になってみると、家の周りの道は夜のうちに腰ほどの高さまで水が溜まっていました。洪水のために家から出られない日が何日も続きました。A国の地形は日本のような高低差があまりないので、すぐに水は引いていきません。しかも、雨がなお降り続いている状況でした。床上浸水まであと少しのところまで水位が上がってきていました。もし洪水の水位がこのまま上がっていけば、家の中にまで水が入ってくることも避けられず不安に駆られました。

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 外出ができない中で数日が経ち、徐々に食料も尽きてきます。意を決して、市場に買い物に行くこととしました。家族の「気をつけて」という声を背に自転車で家を出て、腰上までの泥水につかりながら、必死の思いで食材を買いに行きます。市場に着くと、洪水の中でしたが、そこにはいつもと変わらない活気があり、ほっとしました。必要最低限の食材を買い、泥水に汚れないようにビニールにくるんで自転車にくくりつけました。そして洪水の中を自転車を押して、半ば泳ぐように帰宅したことを覚えています。

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 日本の教会の方々にもメールやSNSなどで状況をお伝えして祈って頂きました。「祈り会で祈りました」というお返事などに、日本から遠い国にいながらどれほど励まされたでしょうか。結果的に、それ以上の水位上昇から守られたことは感謝でした。数日経って、水が引き始めた時は、神様のあわれみを思いました。祈りの力を体験しました。

 この後、B市から首都に引っ越しをするまでの6年間に渡って、自宅の壁一面にはこの時の洪水の水位の跡が線となって残りました。それを見るたびに、その高さにまで洪水が来たことの驚きと、神様がぎりぎりのところで守ってくださったことの感謝を改めて覚えさせられました。

2.魚が釣れたよ

 水で家から出られず悶々としているときに、「おお、釣れたよ~。」隣の家から楽しそうな声が聞こえてきました。家の前の道路は洪水で、まるで川のようになっていたのですが、ご近所ではその水の中に釣り針を垂らして、近くの池や沼から洪水と共に流れてきた魚を捕まえる釣りを楽しんでいる様子。また、近所の子供たちは手作りのボートに乗って、洪水の中で無邪気に遊んでいました。

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 私は洪水という予想外の出来事の中で驚き慌て、元来性格的にハプニングに強くないこともあり、先行きが見えずに正直不安でいっぱいだったのですが、トラブルやどんな状況でもポジティブに楽しんでいるご近所の方々の様子を見て、羨ましくも感じました。

 A国の人たちは、良い意味で楽観的な人たちが多いように思います。何かの時に現地の牧師に相談することもありますが、その時の現地の牧師の第一声は決まって「大丈夫ですよ!心配ないです。」まるで口癖のように思うほどですが、信仰に裏打ちされたその言葉には、相談を持ちかけたこちらの重い気持ちがいつの間にか軽くされているように感じます。

 何かトラブルが起こっても臨機応変に対応する。それはA国の人々が、型に縛られない発想ができることもあるのかもしれません。日本人は一般的に型というものを追求しがちのように思います。そして、もし起きている現実に、自分の持っている型や経験が当てはまらないと、思考停止してしまったり、当惑してしまうことが多いように思います。しかし、こちらの国の人たちは、その点たくましいといえます。

 以前地方の街から首都に戻る時にバスに乗っていました。走行中、突然バスのエンジンの一部のベルトが切れてしまったのです。バスは道端に止まり、そのまま動かなくなりました。日本だったら、急いで修理業者を手配し、業者の人がやってきて修理をします。代車も手配するかもしれません。しかし、もしこの国で遠い首都から業者を呼んでいたら日が暮れてしまいます。どうするのだろう?と見ていました。

 運転手は、最初いろいろな手を尽くしていましたが、万策尽きた時、おもむろに車内の窓のカーテンをはぎ取り、切ってひも状にしました。そしてそれをベルトの代用品としたのです。それを機械にとりつけて、修理は完了。そのままバスは元のように動きだし、無事に目的地までたどり着きました。到着時間は遅くなりましたが、皆笑顔で誰一人文句を言う人はいません。

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 トラブルがあっても臨機応変に対応できる、発想の柔軟性とでもいうのでしょうか。今の日本にはこのような発想はあまり見られないかもしれないとその様子を見ていて思いました。

 今でも何か予想外のトラブルがやって来た時に、あの時の洪水のこと、神様はトラブルの中でも守ってくださったことを思い出します。そして「釣れたよ~」と、ポジティブに楽しんでいたご近所さんたちのことも懐かしく脳裏に浮かぶのです。

3.最初の試練

 の洪水は、私たち家族にとってはB市に住み始めて最初の試練のようなものでした。後に大家さんによると「30年に1回ぐらいの洪水だったね」と。30年に1回の洪水を、その場所に住み始めた最初の年に経験したのですから、滅多にないタイミングで遭遇したのかもしれません。

 しかし、最初の段階で試練に出会うと、それから後に出会う様々な問題も、小さな視点でなく、大きな視点で見れるようになるのではないかと思うのです。「あの時の洪水は確かに大変だったが、その中でも神様は助けてくださり、家族共に乗り越えることができた」という体験は、私たち家族をまたひとつ成長させてくれたように今から振り返って思います。

 海外での働きは、語学でも生活や様々な面でも最初が肝心だといいます。最初の時点では様々な苦労やトラブルもあり大変な思いをしますが、最初に楽な方向へ行くことを考えてしまうと、後から苦労するのは大変だと。逆に最初の段階で苦労すると、その時はつらいが、後はスムーズに動きやすいと耳にしたことがあります。

 宣教地で暮らしてきた中で、いつも新しい働きやステージに入る時に、それも最初の段階で何かの試練を経験することが多かったように思います。最初の段階での試練は、辛い気持ちにもさせられますが、その中にも神の配慮と助けがあることを何度も経験しました。神様はいつも最善をなされることを信じ、神様に感謝します。

 幼い子供たちにとっても、洪水は大変な経験だったかもしれませんが、家の周りを取り囲んだ深い泥水の上に折り紙で作った船を浮かばせたりもしていました。子供は子供なりに、ハプニングの中でたくましく育っているのかもしれません。

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