南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記2【序】学生時代の初渡航

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 1995年、それは19歳学生の春のことでした。1月に関西で大きな地震が起こり、3月には東京の地下鉄で大きな事件が起こって、日本の国が大きく揺れ動いた年。この年に、中学生の時からいつか行きたいと思っていたA国に初めて行くことができたのです。今思えば、この時の渡航も、将来のために神が置いてくださった布石のようなものでした。

 

①生まれて初めて乗る飛行機

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 それは生まれて初めて乗る飛行機でした。今でも飛行機の離陸時には多少の不安を感じるのですが、当時は初搭乗でしたから、どうしてこんな大きな鉄の塊が空を飛ぶのかと座席に座りながら真剣に考えたものです。飛行機自体が初めてですから、海外に行くのももちろん初めてでした。必死にアルバイトをして貯めたお金で取得した真新しいパスポートと航空券を手に、A国へ渡りました。海外の「か」の字も知らなかった当時学生の自分にとっては、見るもの聞くものすべてが新鮮で、衝撃的な体験でした。

 

 隣国を経由してA国に着き、飛行機のタラップを降りると、むっとした熱風が身を包みます。滑走路の遠くには牛がのんびりと歩いている姿が見えました。ここが夢にまで見たA国。そんな感動を覚えたのは一瞬。すぐに現実に引き戻されます。地面を歩いて平屋の空港内に入り、周りが壁に囲まれ、係官と2人きりになった入国審査場にて。係官は私が渡したパスポートを返すのをもったいぶりながら、こう言いました。

「1ドル!」

 ただでさえ初めての海外渡航で緊張している中で、最初係官に言われた意味が分からず、何かの手数料かなと思い、疑問なく係官に1ドルを払いました。係官はそれを受け取り、ささっとお金を胸のポケットへ。

「あっ、やられた。」

 今まで自分の中で特別だったA国。その国の玄関ともいえる空港にて、学生から堂々と賄賂を取る様子を見て、当惑しました。旅の最初から現実を突きつけられました。

 

②初めての外国への渡航

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 初めて直接目で見るA国の首都は、内戦が終結後、国連が介入して総選挙を経た後でしたが、まだまだ混沌としたところがありました。銃を持った兵士が街の中を警戒していました。現在は見られなくなったのですが、当時は3輪自転車のような乗り物がタクシー代わりとして客を乗せて街中を走っていました。まだ舗装した道路が少なく、街中を土埃が舞っていました。ある時、突然「パンパン」と乾いた音が耳に入り、「あの音はなに?」と近くにいた人に聞いたところ「銃声だよ」といとも簡単に答えが返ってきたことに驚きました。

 

  市場に行けば、内戦中に埋められた地雷の被害にあって片足がない人たちが大勢いました。私の行くところ、必死に松葉杖をついて追ってきて、私の前に帽子を差し出してきます。

「お金、お金。」

 今まで日本で経験してきた世界とは全く違う世界を垣間見て、愕然としました。この方々に私は何ができるのだろうか。A国の現実は自分の想像していたものをはるかに凌駕していました。滞在中に様々なことを見聞きし、多くのことを考えさせられました。

 

 A国には1週間あまり滞在しましたが、帰国が近づいたある日、急に腹痛と腹下しが止まらなくなりました。私はもともとお腹が強い方ではなく、その後もA国に宣教の視察などで短期に行った時には必ずお腹をこわし、A国に長期間住んでいる今もなお、田舎に行く時などは食あたりでお腹をこわすことがあるのですが、それでも今までの人生の中で、あんなにひどかった食あたりはありません。2日ぐらいは腹痛で宿のベッドから起き上がれませんでした。

 このままでは脱水症状になると思いました。ようやくベッドから起き上がれるようになって、ふらつきながら宿の食堂に行き、食欲も気力も全くなかったのですが、何か口に入れないとまずいという思いで、必死にミルクを注文したところ、缶詰牛乳がぽんと目の前に置かれて、力が抜けたことを思い出します。その後も体調不良が続き、やっとの思いで帰国したのでした。


 「何でそんなに嫌な思いばかりしたのに、A国が嫌いにならなかったの?」

 帰国して学校のクラスメートによく聞かれました。何でだろうか。自分でもよく分かりませんでした。でも、もう二度と行きたくないとは思わず、またいつかA国に行きたいと思えたのです。そして、A国にはかつてのフランス統治時代から続くカトリック教会以外に教会らしきものが、見当たらなかったことも気がかりでした。誰かがこの国に宣べ伝えに行かなければならないのではないかという思いは、それからも消えることはありませんでした。

 

③人生の中で敷かれる布石

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 A国から帰国してしばらくした後、私の通っていた学校が、海外からの留学生を受け入れることになりました。なんとA国からの留学生でした。学校で初めて彼に出会い、A国語で挨拶をしたら、彼は一瞬信じられない顔をしたのを覚えています。

「えっ?あなたはA国の言葉が話せるのですか?」

 そして緊張していた顔が笑顔に変わり、A国語でたくさん話しかけてきました。私はあわてて彼の話を遮って言いました。

「いや話せるのは挨拶だけです。この前、A国に行ってきたばかりなので。」

 彼と私は親友になり、それからも事ある度にいろんな話を卒業するまでしたことを覚えています。

 

 今までの歩みを振り返ると、神様は確かに布石のようなものをひとつ、またひとつと私の人生の上に敷いてくださっていたようにも思えます。その布石は「心の中の思い」や「予感」また「ビジョン」といえるかもしれませんし、何かの「出来事」や、ある人との「出会い」ともいえるかもしれません。私はその神様の思いや配慮を素直に受け入れることができない時期もあったのですが、思い返す度に、神様が私の人生の中の一時期、様々なことを通して、A国に行く方向へと導いてくださったことを感謝します。

 そして神様は今もなお、私の人生の上に、また一人ひとりのクリスチャンの人生の上に、これから先に歩むべき道のための布石を、ひとつまたひとつと置き続けてくださっているのだと思います。

 

 そのような意味で私たちの人生の歩みは、連続したひとつの線の上にあるようなものかもしれません。もちろん人生の中には、想像もしていなかった出来事も起こったり、突然のハプニングにより方向転換を迫られたりということもあるのですが、後になって、やはりそこにも神の御手と配慮が働いていたことを知ることができるのではないでしょうか。

 神は私たちの人生の先に起こることも全て前もって知っておられるのですから、日々の歩みの中において、神がなさることはどんな小さなことでも、必ず何かの意味があるのだと、そしていつか将来にその意味を見出すこともあれば、天国で教えてくださることもあるのではないかと私はそう思っています。

 

 今は見えないし分からない。でも後から振り返ってみて、あの時の出来事は、この時のためだったのだなと感謝をもって気づかされることがあります。「神の計画は緻密(ちみつ)なのですよ」と大病を患ったある牧師が語っておられた言葉が今でも心から離れません。神様が人生の上に恵みによって敷かれる布石を、敏感に気付く者でありたいです。

 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 エレミヤ書29:11 

  

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