南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記1【序】なぜこの国に導かれたのか

このブログでは、A国における宣教の働きを少しづつまとめていますが、なぜA国と表記しているのかも含めて、このブログ自体の説明などは前回に書いていますので、ご覧ください。

 

 ここからは、【序:派遣前】としてA国に宣教に遣わされる前の記録を書いていきます。まず最初に、なぜ私はA国に思いが与えられ、導かれたのかということからです。

 
①中学生の時の衝撃

 

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 最初は中学校2年生の時でした。何気なくテレビを見ていたのですが、そのテレビ番組の中でA国の特集をしていました。そしてそのA国の映像が、突然私の心に飛び込んできたのです。その時はまだ内戦中だったA国。女性も銃を持って戦っている映像に、目が奪われました。そしてかつて大虐殺がその国に起こったという事実を知りました。

 私は日本で生まれ、育ち、この目で戦争というものを見たことはありません。しかし、世界に目を向ける時に、今この時も自分が経験したことのないような問題で苦しんでいる人たちがいるということを知ったのです。 

 それからというもの、A国のことが自分の心をとらえて離さなくなりました。中学校を卒業して、工学を勉強する学校に入りました。それなのに、暇さえあれば技術書ではなく、A国に関する本を読み漁っていました。読書感想文はいつもその国について書き、何度か校内報にも載りましたが、今思い返しても、当時から(今も)変わった生徒だったと思います。いつか人生の中で1回はA国に行ってみたい。そのような想いが強まっていきました。

 

②電車内で聖書を読んでいて

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 当時通っていた学校は自宅から離れていて、毎日電車で通学していました。いつも登校時、電車の中で時間があったので、座席に座れた時には幼い時から牧師家庭で育った習慣で聖書を読んでいました。別にそれは強いられてとかではなく、そうすることで心が落ち着いたのです。18歳のある日、その日は通学電車の中でローマ書を読んでいましたが、その時自分の心にひとつの聖句が迫ってきました。

「信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。(10:14)」

 

 この聖句が心に刺さった時に、私は中学生の時から心にあったA国をぱっと思い浮かべました。A国は内戦が終わってばかりで、まだ宣教師が少なく、教会も少ないだろう。A国に行って福音を伝える人が必要だと思いました。ひょっとしたら自分が…?しかし、自分じゃないとすぐに心の中で否定しました。

 自分は飛行機に乗ったことさえないし、もちろん海外に行ったこともない。言語の能力もないし、自信もない。もちろんいつか一度はA国に行ってみたいけれども、海外で働くなんて想像もできない。自分が行ったところで何もできませんと。心の中で必死に弁明しました。しかし、そのような思いに関わらず、その聖句を中心としたみことばによる諭しは続きました。

 誰かが行って宣べ伝えることが必要だ。そして行くべきは他の人ではなく、自分自身ではないか。そのことを神様は自分に望んでおられるのではないか。ローマ書の一連のみことばによって完全に心を強くつかまれたのです。 いつもの通学時間だったのですが、とても長い時間のように感じました。

 そして、ぱっと目を上げると、電車内で対面の座席に座っていた男性の呼んでいた新聞の文字が目に入りました。その新聞にははっきりと大きな文字で「A国」の名前が書いてあったのです。今思い返しても、忘れられない不思議な体験でした。 

 もしどなたかに、いつ海外宣教へ呼ばれましたかと問われるならば、私はこの時のこと、そして内面的に強い励ましを受け、宣教への志が与えられたこれらの聖書のみことばの話をします。個人的な出来事や体験というものは、決してみことばより上位に来るものではありませんが、この時の出来事は、私がその後も悩んだり迷う時に、いつも振り返って戻ることができる原点のようなものともなりました。

(ただしこの後に紆余曲折、様々な出来事があり、最終的に宣教に行く決心をしたのは、この時から数年後になります。)

 

③どのようにして導かれるのか

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 神様はどのようにしてA国に導かれたのですか?と聞かれることがあります。

 私自身も今まで多くの宣教師から話を聞きましたが、宣教師が10人いたら、10通りの導かれ方があるように思います。教会に来られた宣教師の報告や説教を通して、その国に強い重荷が与えられた方もいます。実際にその国を訪問して、志が与えられた方もいます。ふとした出来事を通して、その国に対して強い印象を受けた方もいます。神様は私達の固定観念をはるかにこえて、いろんな方法を通してその人を導いてくださるのでしょう。

 ある宣教師は志が与えられ、派遣教会による祈りの中である場所へ出かけていきます。ある宣教師は派遣教会のビジョンの中で、教会のビジョンに従い、ある場所へと出かけていきます。私の友人のフィリピン人宣教師は、フィリピンの母教会のビジョンのもとで、母教会の意向に従い、数年ごとに働きの場所が移っていました。それぞれ神様に人生をおゆだねした者として、神様はそれぞれの方法でみこころのままに人を導かれるのだと思います。

  大事なことは、まず神様に全てをおささげし、おゆだねする決心。そして遣わされる場所がどこであったとしても、神様が今この時、私自身をこの務めとこの場所に招き、導いてくださっているという強い思いであり使命感ではないかと私は思っています。その強い思いがあるならば、例え状況が悪くても神の時を「待つ」ことができます。例え逆境の中にあったとしても、神様の助けのもとで「耐える」ことができます。最初は迷いや恐れがあり、漠然とした中だったとしても、また100%の確信ではなかったとしても、志と信仰をもって一歩を踏み出し、道が開かれていく中で、より強い確信やはっきりしたビジョンが与えられていくこともあります。

 私にA国に対しての重荷が最初に与えられた中学生の時は、まだA国は内戦中でした。宣教師が入ることは不可能でした。その後、和平が成し遂げられ、外国人も入国することができるようになりました。しかし、実際に外国に行くためにはビザも必要です。外国の中には宣教の自由がなくビザが取れない国も多くあります。私は学生当時、全くそのようなことを気に留めていませんでした。

 数年後、仕事を辞めて神学校に入る時も「将来はA国に導かれています」と言って神学校に入りました。実際に将来宣教師としてA国に入れるのかどうか、その段階で見通しも何もありませんでした。ただ神様が導かれたのなら、神様は必ずその場所に行かせてくださるだろうと信じきっていたのです。今思い返しても、一本気でした。もう少し冷静な視点やバランスもあったら良かったとは思います。でも、そのA国への思いはその後も揺らぎませんでしたし、その若さ故の一本気も神様はお用いくださったのかもしれません。そして結果的に、門が開かれてA国に入国することができ、A国で10年以上に渡って、神と教会に仕えることができたのは、感謝しかありません。

  ただ、これは一つのケースであって、神様は私たちの思いや願いとは違う道に導かれることもあります。

「私の思いとしては、日本に宣教に行きたかったのです。でも、その門が開かれずにA国に来ることになりました。」

 そのように言われた韓国人宣教師にA国で出会ったことがあります。長年東アジアに行きたかったけれども、扉が閉ざされて日本に来られた西洋人宣教師もおられます。長く宣教地で仕えたかったが、ビザが更新されなかったり、国外退去を言い渡されたり、政情不安、健康の問題、家族のこと、やむを得ない理由の中で、宣教地を去り他国や母国に働きの場を移した宣教師も大勢います。それは何も特別なことではありません。また海外宣教師への志があったが、状況が許されず、母国で牧師になり、後に続く宣教師を育てた方もおられます。素晴らしい働きだと思います。

 パウロも本来行きたかったビティニア(使徒16:7)という場所に行くことができませんでした。しかし、パウロはそこで立ち止まらずに、道を探してなお前進していきました。結果的に主の摂理の中でマケドニアに行くことになり、そこで伝道するように導かれました。振り返ってみれば、それがパウロに対する神のご計画だったのです。

 その時ははっきり分からなくても、また自分の思いとは異なることがあったとしても、導かれるままに進んで行った後、自らの歩みを改めて振り返ってみる時に、これが神のみこころであり、神の導きだったのだなと後で分かることもあると思うのです。

 志は大切に、かつ神の導きには柔軟に従うことができればと思います。

人の心には多くの思いがある。

しかし、主の計画こそが実現する。(箴言19:21)

 

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