南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記3【序】牧師家庭に生まれて

 学生時代にA国への志が与えられ、実際にA国に行く機会もありましたが、その後、様々なことの中で、私の心は徐々に神様から離れるようになります。今から振り返っても、決して楽しい話ではありませんが、私自身の信仰歴も含めそのいきさつを。

①安定を求める中で

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 私は牧師家庭の長男として生まれ、教会の中で育ちました。両親と共に、教会の方々との交わりの中で育てられたと言ってもいいかもしれません。牧師住居が教会の2階でしたので、自分にとっては教会堂イコール自宅でした。いつも日曜になると、自宅に人が集まってくるという印象でした。

 親が牧師であり自宅が教会という環境は、学校に行くとクラスメートからは変わっていると見られましたが、生まれた時からそのような環境でしたから、自分にとってはそれが普通だと感じていました。ただ、登校時に親が教会学校のチラシを学校の門の前で配っていた時には、よく友達からはそのことをからかわれ、クラスに入ると自分の机の上にチラシが全部置かれていたこともありました。その時はさすがに複雑な思いをしたことを覚えています。


 その環境の中で、幼い時に信仰を持ち、中学生の時に自分の意志でバプテスマを受けました。そして、中学校を卒業した春に、いくつかの教会が集まったキャンプに参加し、そこで自分自身を神様におゆだねする決意をしました。(その後、その決意からふらついてしまうことになりますが…。)

 よくクリスチャン2世の信仰というものは、階段をぽんぽんと飛んで上がるような急激な変化があるというよりも、坂道をじわじわと時間をかけて上がっていくようなものと耳にしたことがありますが、自分の歩みを振り返っても、その表現に近いものを感じます。


 そして学生時代、既に書きましたようにA国に対する強い思いが与えられ、前回記したようにA国に実際に行く機会も与えられたわけですが、実際に現実が見えてくるにつれて、その道に進むことに対しての不安と恐れが正直あったように思います。

 示された道なのですが、その道を選びきれない。現実を見るならば、自分にはそんな働きはできないことは明確に思えました。そのような漠然とした一見不安定に思える道よりも、この世の中にあるもっと魅力的な道を探し求めている自分がいました。


 今から振り返るならば、幼い時より牧師の子供として育ち、様々なことを味わい、体験してきた中で、無意識のうちに心のどこかで、社会的な「安定」というものを求めていたように思います。就職して、誰の力も借りずに自分の手で、自分の力で生きていきたい。自分が第一。今から考えればただの自分勝手で傲慢な思い上がりなのですが、そのような考えが徐々に強くなっていきました。そしてそれは次第に、神様から心が離れていくことにつながっていきました。

②就職する中で

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 技術系の学校を卒業し、就職をして公共事業関連の仕事を始めました。勤務地は実家から数百キロも遠く離れた場所で、職員寮に住むこととなり、生まれて初めて自宅=教会という場所から離れることになりました。今まで教会の2階に住んでいましたから、日曜に教会に行かないという選択肢はなかったのですが、一人暮らしを始めてから、教会に行っても行かなくても自分次第という「自由」を手にしました。それでも自分の意志で教会に行くのかということを問われている気がしました。 

 また、仕事自体は自分の学んできた専門分野でしたから、最初は楽しく満足の日々でした。毎月給料がはいってきて、自分の手で得たお金を自分の思いのままに使えることも、今までの生活では味わったことのない「安定」でした。


 しかしそのような歩みの中で、段々と心の中にぽっかりと穴のようなものが開いていることに気づきはじめました。自分の思うがままの人生を歩んでいるはずなのに、なぜ心が虚しいのか。その虚しさを否定しようと思って、仕事に打ち込んだり、好き勝手なことをしましたが、心の中の虚しさはどんどんと大きくなり、ごまかし通すことはできなくなりました。

 やがてそのような思い悩みは心身にも影響が出始めました。そのような中で罹患した「突発性難聴」を通しても、自分の生き方を探られる機会ともなりました。今までまるで自分自身が人生の主であるかのように振舞っていながら、実はいかに自分が無力で弱い者であるかということを苦しさの中で痛いほど悟ることとなりました。

 もはやその時点で自分にできることは、その虚しさと、自分の罪を素直に認めることだけでした。そしてなおもそのような自分を愛してくださっているお方にもう一度向き合うことでした。

 キリストの十字架は、そんな自分のためであることを再発見しました。幼い頃から信仰を持ち、神に全てをおゆだねしていたにも関わらず、自我のままに、神から離れ、罪の中を歩んでいたこと。祈りの中で、神の前に今までの歩みを全て悔い改めました。この背後に、祈ってくださっていた方の祈りがあったことと思い、そのことを改めて感謝します。

 またその当時、故郷から遠く離れ就職をした場所で、出席していた教会の牧師先生にも、多くの相談に乗って頂いたことは忘れません。就職という転機があったにせよ、親が牧師として仕えている教会から、一時的に別の教会に継続的に出席する機会があり、そこで客観的に自分自身の信仰を見つめなおせたこと。そして親ではない第三者の立場で率直な話を聞いて頂けたことは、信仰の転換点にあった私にとって大きな助けとなりました。ただ、これは決して一般論ではなく、私個人の体験談にすぎないことは付け加えさせていただきます。

③悔い改めと再度の決心

 その後、しばらくしてある説教者を通して聞いたメッセージは「5つのパンと2匹の魚」の説教でした。子供がもっていたわずかな物を、イエス様は何倍にも増やされ用いられたこと。私たちが持っているものも、わずかな物かもしれないが、それをささげるときに、イエス様は用いてくださること。

 

 私は自分にはできないと思い、今まで神様から与えられた使命から一方的に逃げていたように感じました。そしてその中でいつの間にか心も神から離れていました。しかし、神様はそのような私さえもずっと幼い時から守り導き続けていてくださっていること、そしてもし従うならば、このような者さえも用いてくださること。その説教とみことばは私の背中を押してくれました。その説教の後で、「A国に行きます」ともういちど心新たに決心することができました。

 

 学生時代にA国への使命が与えられた後、長々と遠回りをしてしまったようですが、再び神様がその使命感を新たにしてくださったことは、ただただ神様のあわれみでしかありません。

 その後、職場の上司と話し合い、もうしばらくの間仕事を続けた上で、職場にとって一番影響がない時期に辞職をすることとなりました。そして、聖書を深く学ぶために神学校に入学しました。私の突然の方針転換にも関わらず、理解してくださった職場の上司や同僚の方々にも感謝しています。私がA国に遣わされた後、その時の職場の上司の一人が、一度行ってみたいということで、わざわざ日本からA国の私たちのもとを訪れてくださったこともあり、嬉しい出来事でした。

 

追記 自分にできることは何か

 後に宣教師という立場で、全国の教会を訪問させて頂く時に、いつも牧師家庭の子供たち(パスターズキッズ・PK)が個人的に気になりました。私が同じ立場だったからかもしれません。かつて私が幼い頃に多くの宣教師が訪問してきたときに、宿泊のために自宅の部屋がひとつなくなって、幼心にほんの少しの複雑な思いを感じていたからかもしれません。(今では微笑ましく懐かしい思い出のひとつです。)

 もし、少しでも牧師家庭の子供さんたちとお話しする機会があれば、自分の体験も踏まえて、いろいろな話を分かち合ってきました。その中で、全く同じではないですが、多くの人たちが似たような経験や体験をし、似たような悩みを持っていることに改めて気づきました。そして昔、私も同じように悩んでいた時に、キャンプなどで年上の同じ境遇の方々に率直な話を聞いてもらったこと、そのことによって励まされたことを思い出しました。

  何か自分にできることはないだろうかという思いの中で、同じような意識を持っている方々と協力しあって、私たちなりにできることを今まで考えて行ってきました。それは聖書にある通り「苦しみをともにしているように、慰めもともに」するためでした。一人ひとりにできることはわずかかもしれませんが、同じような経験をしている人たちが自分だけでなく周りにもいる。そのことが知れるだけでも、人は勇気づけられるのです。

 

 しかし、これは「牧師の子ども」に限ったことではありません。人によってケースは様々ですが、自分と同じような境遇の人たち、自分が抱えてきたものを分かりあえる人たち、当事者仲間を神様は必ず周りに置いて下さるのだと思います。私たちは神様にあって決して「一人ぼっち」ではありません。

 教会の交わり、合同のキャンプなど、神様が与えてくださるいろんな機会の中で、当事者同士が互いに顔と顔を合わせ、励まし合え、互いに祈れるような場が自然発生的に与えられたら、それはどんなに感謝なことだろうかと個人的に思っています。

あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めもともにしていることを、私たちは知っているからです。(Ⅱコリント1:7)