宣記14【1期】家族の合流
2007年4月、長男の誕生を見届けて単身でA国に渡りました。それから数か月間単身生活をしていましたが、9月に一時帰国し、派遣教会にて正式に派遣式が行われた後、家族一緒の渡航、そしてA国での生活が始まりました。家族にとって初めての海外での生活でした。長女3才、長男0歳(5か月)での渡航でした。(下記に続く)
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1.赤ちゃんのパスポートとビザ
現在は0歳でもパスポートが必要ですので、渡航前に当時0歳だった長男のパスポートを作りました。赤ちゃんのパスポートの写真はどう撮ればいいのかと思いながら写真屋さんに行ったところ、赤ちゃんをベッドに寝かせて、ベッド上からの撮影。なるほどと思ったことを思い出します。(ちなみに子供のパスポートは5年間有効のため、0歳の時に作ったパスポートの写真と息子が5歳の時の顔は、まるで別人のようでした。)
海外に長期渡航するためには、渡航国のビザ(査証)が基本的には必要ですが、この当時のA国では、空港で費用を支払えば問題なく入国ビザを取得することができました。今までの歩みの中で、A国の入国時には何回かトラブルを経験しましたが、ビザ取得に関しては今まで大きな問題はなかったことを感謝します。(現在はコロナ禍によって、ビザ取得はどの国も以前より難しくなっています。)
以前にも書きましたが、入国時もしくは滞在に必要なビザは、宣教師の頭痛の種のひとつです。特に宣教の自由がない国では、祈りつつ知恵を使いながらビザを取得しなければなりません。そのような国では、普段は農業や工業などの技術的な支援をしながら福音を伝える「技術宣教師」が働きをしています。病気の治療をしながら福音を伝える「医療宣教師」や、ある国では英語学校を始めて、生徒に英語を教えながら、地道に宣教の働きをする宣教師もいます。NPOの活動をしながら宣教する宣教師もいます。ビザの問題という背景もありますが、人々の生活に密着しながら、生活の場で証しをしていくそのような宣教師だからこそできる働きもあるのです。将来の様々な可能性のために、若い時に様々な分野を学び、技術を身につけておくことは、いろんな意味で決して無駄にはならないと思っています。
例え宣教のために必要なビザを取得した上で働きを続けていても、国によっては、ある日突然ビザが取り消され出国が命じられる時があります。知人宣教師の中には、突然3日以内に国を退去するように求められたケースもあったと聞きます。中には、外出中自宅に戻ることが許されずにそのまま国外退去を求められた話も聞いたことがあります。
ビザを取得していても一安心ではないのです。海外では何が起こるのか分からないのが常であり、ビザの取得や延長の条件が急に変わるのも常です。いつ内乱や紛争が起こるかも分かりません。もしその国の永住権を取得していれば、また話は異なるかもしれませんが、その国にとって外国人である限りは、その国の主権のもとで、いつ退去させられることがあったとしても文句は言えない立場なのです。
そのような意味では、外国人はその国に在住することが許されている身といえます。日々神の許しと守りの中で、海外での生活と働きができているともいえます。そして、クリスチャンにとって再臨への備えはいつも必要であるのと同様に、宣教師にとっては、いつビザが延長不可になるかもしれない、いつその国での働きに一区切りの日が来るかもしれないという心づもりがどこかで求められるのかもしれません。まさに寄留者。宣教地での一日一日が大切だといえます。
宣教の働きとは、日々の生活から必要面、健康面や安全面、その国でのビザに至るまで、徹頭徹尾、神への信頼が求められる働きであることを改めて思わされます。
2.家族での渡航
赤ちゃん連れで国際線の飛行機に乗る場合、赤ちゃん用の機内ベッドを組み立ててくれます。(事前申し込み要)。これは長時間のフライトの中でとても助かりました。飛行機の中は気圧の変化による耳の痛みもあったり、長時間自由に動けないこともあり、特に幼い子供にとっては苦痛でしょう。この後も、何度も日本とA国を飛行機で往復しましたが、子供達がまだ幼かった時は、おそらくストレスから機内で時々泣き止まない時もありました。特に深夜便では多くの乗客が寝静まっていることもあり、泣き声が機内に響き渡ることもあり、子も大変だったでしょうが、親も気を使うことがよくありました。
当時日本からの直行便がなかったA国では、第3国での乗り換えが必要でしたが、中継地の空港で機内のストレスから少しの間解放されるのは、子供達にとっても良かったかもしれません。
神の守りの中でA国に無事に着き、半年間一人暮らししていた家に家族で一緒に向かいました。家族にとって初めての海外での生活が始まりましたが、特に幼い子供がA国での生活をすっと受け入れてくれたことは嬉しいことでした。大人は周りの環境に適応するのに時間がかかるのですが、子供の適応力の大きさを改めて思いました。
家族が合流したことを、A国の人たちも喜んでくれました。特にA国の人たちは赤ちゃんが大好きで、外国人の子供は特に珍しかったのかもしれません。どこに行っても触られまくりました。他人の赤ちゃんでも、触りまくり、ほっぺをつねるというのも普通なのです。またよく抱っこをさせてくれと頼まれました。お店では、従業員がまだ赤ちゃんだった息子を抱っこして、いつの間にか悪気なく奥に連れて行くのでハラハラしたこともよくありました。国が違えば、かわいさに対する表現も異なるのです。
3.到着早々の体調不良
10年以上に及んだ海外での生活の中で、家族が大きな病気や危険から守られたことは感謝なことでした。もちろん普通に病気はしましたし、怪我をすることもありました。次女も一度幼い時に呼吸器系の症状で入院することもありましたが、いつも神様の備えと守りが確かにありました。神様はいつもどんな時にも必ず支えてくださると信じていましたし、実際神は守ってくださったのです。