南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記9【序】デプテーション①

 宣教地に実際に渡る前に、日本各地の教会を訪れて宣教の働きの紹介を行うデプテーション(教会訪問)が2005年より始まりました。今回と次回と2回に分けてデプテーションについて記憶をたどりながら書きたいと思います。 

 

1.1年半に渡る教会訪問f:id:krumichi:20210719135950j:plain   

 デプテーション(デピュテーション)という言葉自体は英語(deputation)ですが、教会で使われる用語として、主に宣教師が宣教地に渡る前に各地域にある教会へ、海外宣教への祈り、サポート、継続的な交わりのお願いのために訪問することを意味します。  

 私たちの場合は、2005年から2007年にかけての約1年半、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地にある教会を訪問させて頂きました。私たちの派遣教会および当時の住まいは西日本でしたので、単身の場合は公共交通機関で、また妻と幼かった長女が同行して家族3人の時は車を使って、西日本から全国津々浦々を移動しました。

 時にはフェリーを使ったり、一人の時は夜行バスを使うこともよくありました。また車で長距離を移動した時は、家族で一緒に車中泊をしたことも記憶に残っています。車の中は、いつも着替えや生活用品、また車中泊用の寝具などで一杯でした。さながら常に引っ越しのような移動でした。

 長期間に渡る移動の中で、当時の住まいを不在にする期間も、時に2か月以上におよぶこともありました。防犯のこともあり、長期の留守時は郵便局に配達の停止をお願いしていました。また不在が長引いたある時、電気会社から滞在先の携帯に電話がかかってきたこともありました。しばらく電気が使われていないのを不審に思ってのことでした。

 ある時、久しぶりに顔を合わせた近所の人から「最近子供さん、外に出してないの?大丈夫?」と聞かれたこともありました。長い間、家族や子供の姿を見ないのですから不思議に思われても当然かもしれません。

 

 2.地球1周以上の走行

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 約1年半の車の走行距離は地球1周以上の距離となりました。途中、何度も車が故障したことも、今となっては思い出のひとつです。移動中のオイル漏れ、燃料漏れなどいろいろありましたが、一番記憶に残っているのは、燃料の凍結です。

 当時はディーゼル車に乗っていましたが、まだ寒い春先に車で東北地方を訪問した時のこと、夜の寒さに車の燃料が凍りつき、翌朝エンジンがかからなくなったのです。寒冷地では軽油が凍らないように、寒冷地仕様のものを現地のガソリンスタンドで入れないといけないということを知らなかったことが原因でした。訪問先では動かない車を前にバタバタとご迷惑をおかけしました。

 これも車で移動中の話ですが、ある地方のセルフガソリンスタンドで給油した時のこと、給油後に何気なく車を出発させると、1歳の長女が車の後ろを指さして、必死に「ママ~ママ~」と叫んでいます。不思議に思い、後部座席を見ると、そこにいるはずの妻の姿がありません。あわてて車を止めたのを思いだします。娘が叫ばなければ危うく妻を置き去りにしてしまうところでした。

 車での移動の場合、どうしても交通状況などによって到着時間が左右されてしまいます。ある教会で日曜朝拝に出席をし、その後夕拝のおこなわれる別の教会に車で移動するときには、遅刻しないように事前に道を地図で確認し、また所要時間も計算したりしていました。それでも突発的な渋滞などは予測できず、夕拝の時間に間に合わないのではないかとハラハラすることも何度かありました。

 日本の北から南までの様々な場所を車で移動して、改めて日本は様々な意味で広いことを肌で感じました。地域によって好まれる味も、気候も風習も文化も、また方言もそれぞれ異なるということを実感しました。そしてそれぞれの異なる地に主が置かれている教会のスタイルの多様性というものを実際に目にし、多くのことを学んだことを覚えています。

 

 3.体調の支え

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 長期間に渡り遠距離を移動するにあたって、大きな事故やアクシデントから守られ、また家族の健康や体調が支えられたことは感謝でした。娘は途中で何度か熱を出したりすることもあり、滞在先の方々にはご心配をおかけしましたが、大きな病からは守られ、神の守りを実感する日々でした。

 今でも思い出す出来事があります。長距離フェリーに乗ってある島の教会に向かっていた時のことでした。季節はまだ冬の時期だったこともあり、外海は荒れて波も高く、フェリーは今まで経験したことがないほどの激しい揺れでした。出航して4時間ほど乗船していましたが、妻の船酔いがあまりに酷かったため、目的地までそのまま乗り続けることをあきらめ、寄港した島で一旦下船することとしました。

 下船する予定のなかった島。土地勘もなく、船酔いの脱水症状で歩くことさえままならない妻と幼い娘とともに下船場で途方に暮れていました。すると、客の送迎に港まで来ていたあるホテル従業員の方が、困っている私たちを見かねて、いろいろと親身になって助けてくださったのです。おかげで、島で唯一の総合病院に行くことができました。

 妻はその病院で数時間の点滴治療。また、ちょうどその日は、1ヶ月に2回小児科の医師が遠隔地から巡回診療に来島の日ということで、数日前から少し気になる症状があった娘も診てもらうことに。その結果、娘も体調を崩していたことが分かり、急きょ予定を変更することとなりました。私達にとっては見ず知らずの場所でしたが、神様は宿泊する場所も備えてくださっていました。予定外のハプニングの中でも、神様は共におられ、確かに守ってくださることを実感した印象深い出来事でした。

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 振り返ると、私達は1年半でデプテーションを終えることができましたが、アメリカ人の宣教師からは、デプテーションで3年以上費やすこともあると聞いたことがあります。日曜の朝拝と夕拝の教会間の移動も距離にして300キロの時もあると。また各地域の訪問のためにキャンピングカーで家族と共に移動することもあると。アメリカらしいスケールの大きい話だと思いました。まさに神の助けが必要な働きだと思います。

 デプテーションは、実際に宣教地に行くひとつ前の段階の働きです。とはいえ、デプテーションは多くの時間を要し、またその行程の中で何度も心や思いが探られ、また将来の働きのために身も心も整えられていく時だと思います。デプテーションを通して様々なことを経験し、また神様のわざを身をもって体験する中で、神様が共におられ、神様が遣わしておられるという確信が深められていく時でもありますし、各地の教会を訪問する中で、その教会のクリスチャンの方々との交わりの中で、多くのことを学び、また神様から教えられていく時でもあると思うのです。

 海外の宣教地に行く前とはいえ、デプテーションも母国における大事な海外宣教の働きのひとつだと考えます。海外宣教への思いと重荷が、教会と宣教師の相互に深まり、共有される大切な機会です。まだ派遣前で何の経験もない宣教師を快く受け入れ、祈り支えてくださる各地の教会あっての働きであり、感謝の思いなくして当時のことを振り返ることはできません。

 もし今後デプテーションをされる宣教師の方々がおられるならば、どうか神の導きと助けの中で、健康が支えられそして全てのことが守られますように。   

 

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