南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記7【序】視察のための渡航②

 今回は2004年の宣教視察の話の続きです。前回の話はこちらから。

 

krumichi.hateblo.jp

  滞在中、既にA国で働きをしていた外国人宣教師たちから多くの話を聞くことができました。短い期間ではありましたが、この時に見聞きし、そして学んだことは、この後の働きのための大きな財産ともなりました。

 

1.神が望んでおられることは何か

 

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 私が視察にA国に行った時は、長い内戦が終結し、宣教師が自由に活動ができるようになって10年ほどが経った頃でした。その頃A国には、様々な国から宣教師が入って働きを始めていました。

 数人の宣教師から様々な話を聞きましたが、興味深かったのは、宣教師それぞれに個性があり、それぞれに考えがあり、またそれぞれに工夫している点があるということでした。そしてそれは皆同じではないのです。

 首都から遠く離れた場所で働くある宣教師は、現地伝道者を育成する働きを主におこなっています。私が訪問した時は、貧しい人々が多い地域だったことを覚えています。その宣教師は自らの働きのための建物を持っていませんでした。様々な場所をその時々に借りながら働きをしていました。

 その宣教師は言いました。「例えば建物を建てたとする。でもそれを誰が維持できると思う?もし外国人宣教師が去って、現地のクリスチャンたちだけで維持できないのなら、ずっと海外からの支援に頼りっぱなしになってしまうだろう。」

 それならばと、あえて自前の建物をもたず、自前の設備をもたず、現地の信者たちのみで維持・継続していけるような形でミニストリーをおこなっているのです。短期的な見方よりも、長期的視野に立って働きをする姿が目に焼き付きました。

 その一方で宣教地によっては、まず教会としての会堂があった方が、周りの人たちに信用されやすいこともあると耳にしたことがあります。それぞれの宣教地にそれぞれの特色や事情があり、それぞれに違いがある。その中で、遣わされた場所のことをよく理解していくことが大切なのだと感じました。

  

 また、他の宣教師の話も印象的でした。「ここで福音を話す時はね、私はまず聖書のはじめにある創世記から話すようにしている。」

 「なぜかって、A国はキリスト教国ではない。もともと多くの人が抱いている神観からして違うんだよ。宣教師の私が理解している神観と、この国の人たちが思っている神のイメージがまず違う。そこでいきなり神の話をしても正しく伝わらない。だから、創世記の天地創造の話から始めて、聖書が教えている創造主の神様を伝えていくんだ。」

 その宣教師は話を続けました。「まず福音を伝える前に、その地を耕すことも大切なんだよ。地ならししないといけない。現地の人たちが理解できるところから話していって、そうしながら聖書のメッセージを伝えていくのがこの地では良い方法だと思う。」とても印象的な話でした。

 

 その他にも多くの宣教師から話を聞くことができました。ここでは書ききれないのですが、どの話も深く、それぞれに工夫をされている様子が伺えました。そしてそれは皆同じではないのです。A国でも日本同様に都会でのミッションと地方でのミッションはスタイルが違います。伝道の方法も違います。私も後の働きの中で、A国の地方に導かれた時がありましたが、様々な違いを改めて実感したことを思い出します。

 その中で、自分が置かれた場所にあって、その場所のことをよく知り、そしてその場所に合ったやり方で、神からゆだねられた務めを果たしていきたいと願うのですが、その判断の助けとなるのは何なのか。

 これも視察の中で耳にしたある宣教師の言葉ですが、心に残る言葉でした。それは「神が本当に望んでおられることは何なのだろうか」

 

 例えば、宣教師はある国から他の国に遣わされるのですが、働きを進めていく時に、言葉の面で、また文化の理解の面で、どうしても限界があることを実感します。その中で最善を尽くそうとするわけですが、ある時は自らの母国のスタイルを絶対化してしまって、母国のスタイルを現地の教会に押し付けることになってしまったり、また良かれと思ってしたことが、逆に現地の教会やクリスチャンたちの自立を妨げることになってしまうこともあります。これは私自身の今までの歩みの反省点でもあります。その中で、いつも祈り、そして自分に問わなければならないのは、「神様がここで私に望んでおられることは何だろうか」という問いなのだと思うのです。

 

 A国の教会事情もそうですが、視察を通じて教えられたのは、宣教師はみな個性も違い、それぞれ働きも異なること。みな一緒のやり方でなくて良いのです。もちろん福音を伝え、現地の教会の建て上げに携わり、主の弟子を育成するという宣教の柱であり原則は変わりません。それは全世界どこに行っても同じです。しかし、それを実現していくための手法はそれぞれ異なります。宣教師の出身国(アメリカ、韓国、フィリピンなど…)によって、手法にそれぞれ違いがあることも興味深いことです。その違いもまた神様は用いてくださるのでしょう。

 一人一人に賜物が与えられ、そしてその賜物に応じて与えられた使命を果たしていくことを、神は求めておられる。そのためには、繰り返しになりますが「神はいまここで私に何をすることを望んでおられるのか」という祈りは大切だと思っています。今までもそしてこれからも、導かれた場所で、自分自身にそのことを問い続けたいのです。

 

2.視察の旅を終えて

 

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 約1週間以上に渡った視察期間を終えて、帰国しました。途中激しい食あたりにあい、数日間寝込んだのも元来胃腸が強くない自分にとっては予想の範囲内でした。しかし、宣教の現地で見た多くの現実は、私にとっては負いきれない重荷のように感じました。荷が重すぎると思いました。「いったいA国で私に何ができるのだろう。」帰国してもしばらくそのような思いにとらわれました。

  私が見た宣教地の世界は自分の想像よりもあまりに広く、それに比べて自分の持っているもの、能力があまりに小さく思えたのです。本当に自分はA国に遣わされるのだろうか。本当にやっていけるのだろうか。正直心の中には不安が渦巻きました。この視察の時、長女はまだ生後数か月だったため、妻は同行せずに日本に留まったのですが、帰国してから妻に「どうだった?」と聞かれ、弱気の中でこう答えたことを覚えています。「本当に神に導かれていなければ、行くことができないよ。」

  そこからどのようにその思いを乗り越えて、実際にA国に渡ったのか。今となってははっきりとは覚えていないのですが、ただ神の導きと励ましと、そして後押しがあったゆえだと考えています。 

 以前にある宣教師と話したことを覚えています。「私は一歩踏み出すことが苦手。いろんなことを思って不安になったり、神様の導きだと分かっても、なかなか前に踏み出せないんだ。でもね…」とその宣教師は言いました。本当にここだという時は、神様が背中をポンと押してくださるんだよ。前に進めるようにね。その宣教師の言葉にとても励まされた自分がいました。

  視察の旅で、宣教地の現実を改めて見せられました。その大きな必要を前に、あまりに自分が弱く思えました。しかし感謝なことに、神はそのような私の背をずっと押し続けてくださったのでした。そして今に至るまで押し続けてくださっていることを感謝します。