南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記5【序】宣教地に行く前に

 神学校で4年間、聖書を勉強する機会が与えられました。ここからは卒業後の話です。

 神学校を卒業して、短い期間でデプテーションを始め、早い内に海外に遣わされる宣教師もおられますし、卒業した後、日本の教会でまとまった期間、奉仕をされる宣教師もおられます。もし宣教委員会や宣教団体に所属する場合は、それぞれの規約もありますし、また一人ひとりに神様からの異なる導きがあると思いますので、どちらがということはないのですが、私の場合、海外に行く前の約2年間、日本のある教会(派遣教会以外)で奉仕をすることとしました。そして振り返るならば、この時の様々な出来事は、その後の海外での働きのために大きな助けとなったのです。

 

1.聞き取れない方言

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 私が神学校を卒業した後に奉仕をした教会は、ひとつの島の中にありました。今まで地方都市に住み、どちらかといえば街の中で幼い頃より育った私にとっては、自然豊かな環境の中で長い期間暮らすのは初めてで、全てが新鮮な体験でした。

 住み始めてまず衝撃を受けたのは、その地域の言葉(方言)でした。最初の時期に、近くの銭湯に行ったのですが、壮年の人同士が会話している方言が全く聞き取れず、言葉の意味が分からないのです。私にとっては外国語のようにも思いました。日本にいながら、言葉(方言)が聞き取れないという体験を初めて味わい、驚きでした。 

 教会で奉仕をしながら、島の中にある店でアルバイトを始めましたが、店に来るお客さんの方言が強くて、お客さんが何を注文したのかも聞き取れないのです。お客さんとしても、従業員(私)に話したことが伝わっていないので、怪訝な顔をされます。私の胸の名札に書かれている苗字を見て言われました。「あなた島の人じゃないね。どこから来たの?」

 そのようなことが何度もあり、当時の上司からはよく小言を言われましたが、それも方言なので何を叱られているかが分からない。叱られている内容が分からないので、同じことを繰り返し、また叱られる。これはとてもつらかったことを覚えています。

 その中で、一緒に働いていた同僚に方言を少しづつ教えてもらいました。

「この言葉の意味は何?どういう時に使うの?」

 次第にひとつひとつの言葉の意味が分かってくると、話の内容の理解が深まっていきます。言葉のイントネーションの違いが分かってくると、ぎこちなくても多少のイントネーションは話す相手に合わせることができるようになります。

 徐々にお客さんともコミュニケーションが取れるようになっていくと、見える世界が変わっていきました。また、自分が新しい環境に少しでも足を踏み入れることができたような気もしました。言葉というのは、実に奥が深いと思ったものです。

 

 この時の体験を通して、新しい言語を学ぶ時には座学だけでは不十分であり、実際の生活の現場の中で、時にはつらい思いをしながらも、身につけていく必要があること。そして、たとえ言葉が分からなかったとしても、コミュニケーションを取る方法はいくらでもあることを学びました。

 今でも、何かの話をする時には、私自身の故郷の方言、神学校があった地域の方言、そしてこの島のある地域の方言がミックスされ、イントネーションもバラバラで、時々「何か言葉が変だよ」と家族に言われます。本当に言葉が上手な人は、頭の中にスイッチがあるかのように、その場所に合わせて方言を切り替えることができるのでしょう。私はそれが苦手なのです。

 でも私にとれば、どの方言も、その時の自分の生きていた証しのような、自分にとっては切っても切り離せない大切なものなのです。

 

2.それぞれの伝道スタイル

 

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 島の教会では、トラクトをもって伝道に行きました。教会の牧師先生が1軒1軒まわって、会う人ににこやかに話しながらトラクトを渡します。ここでは「まず顔を覚えてもらうことが大事だよ」と。今まで私が経験してきた都市の教会の伝道とはまた違うスタイルがありました。

 1軒1軒といっても、隣家とは時に数百メートルも離れていますから、車で移動します。そして、島内の近隣で出会う方々の多くは牧師と古くからの顔なじみです。世間話もしながら、教会の集会案内をします。たまに訪問先で野菜を頂いたり、卵を頂いたりもします。「神様からのプレゼントだね~」と、伝道の後に美味しく頂きました。まず周りの方々と人間関係を築いて、そしてその関係の中で福音をお伝えしていく。

 

 後にA国の地方の街で集まりを始めた時に、私はこの島の教会で学んだことを用いました。子供たち対象の「勉強クラブ」を通して、近隣の方々に顔を覚えてもらい、信頼関係を築きながら、福音をお伝えしていきました。もちろんA国でも首都では、首都ならではの伝道のやり方があります。

 それぞれの国のそれぞれの地域教会に、それぞれ固有のスタイルがあります。それは、その地域ならではのものもあり、決して他と同じではありませんし、他と比較されるべきものでもありません。そしてその違いこそ、神が地域教会に与えてくださった素晴らしさのひとつだとも思うのです。

 

 私は自分の育った教会のスタイル、また幼い頃から育った地域、文化、言葉、また様々な背景に愛着がありました。最初、島の教会で奉仕を始めた時には、多くの違いに戸惑ったものです。しかし、聖書の中でパウロ

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。」

と述べているように、遣わされる場所によっては、自分の持っているスタイルや固定観念をあえて変えていかなくてはならないこと。そして海外で働くためには、自分が培ってきた日本的な教会スタイルをその地に伝えるのではなく、聖書から福音、そして本当に大切な原則を伝えなければならないということ。A国に行く前に、そのことを学ぶことができたことを感謝しています。

 ある宣教師が言っていた言葉を思い出します。「私は母国のスタイルを宣教地に伝えるのではなく、『十字架につけられたキリストを宣べ伝え』るのです。」

 その通りだと思います。

 

3.小さなカルチャーショックから始める

  A国に行ってカルチャーショックは受けませんでしたか?とよく聞かれましたが、いま振り返っても、私にとっては島で暮らした約2年間の方が、A国に行った時よりも大きなカルチャーショックを経験していたと思います。

 先にも書きましたが、島の言葉が分からなくて苦労したという経験は、A国に行った時にも「全く言葉が分からない」中で生かされました。

 島に住んでいた2年間の中で、ムカデに7回も噛まれ、痛い思いをしましたが、それを前もって経験していたので、A国でサソリが自宅の部屋の中にいた時も、「これがサソリか」とは思いましたが、腰を抜かすほどの驚きはありませんでした。

 また、島の教会堂に蛇が入ってくる体験を2回もしていたので、同じくA国で自宅の中に2回蛇が入って来た時も、もちろんびっくりはしましたが、動揺はしませんでした。

 以前に似たような出来事を少しでも経験していると、新しい環境に入る時にも、その経験は自分にとっての強みともなります。転校、転勤、転職、引っ越し、生活の中での大きな変化などをとっても、その時の楽ではない経験はいつか生かされるのだと思います。

 

 後から本を読んで知ったのですが、海外で異文化の生活する前に、事前に母国などで小さなカルチャーショックを受ける経験を段階的に重ねていた方が、海外でより大きなカルチャーショックを受けることから守られて、よりスムーズに異文化の環境に適応しやすいと。日々の生活の中で、小さなカルチャーショックがあるならば、自分に与えられたキャパシティ(許容範囲)の中で、それを受けていくことは良いことなのです。ひょっとしたら、それは将来のための神様からの備えかもしれません。

 そのような意味では、A国に行く前に、まとまった期間、島の教会でお仕えする機会が与えられたのは、今から振り返っても神様のお導きだったと思い、神様に、そして島の教会に感謝しています。

  神様は人生の中で無駄な経験は与えられない。そのひとつひとつの経験は将来のためであり、いつか必ず生かされるものであると信じています。 

 

 すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。

Ⅰコリント9:22

 

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