南の国の風と共に

南の国の教会で働いてきたミッショナリーのメモ

宣記25【1期】1年間の帰国

  2007年にA国に渡り、言葉の勉強、また教会での奉仕の中で、あっという間に月日が過ぎ去ろうとしていました。渡航から丸4年が経過した2011年を一区切りとして、日本に1年間帰国をし、祈りと支援をしてくださった教会を巡回して宣教活動の報告をすることとしました。

1.休息と逆カルチャーショック

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 ある方から、海外で働く宣教師のまとまった期間の帰国には、主に3つの目的があると教えられました。1つ目は母国での休息。2つ目は支援してくださっている教会を訪問しての宣教報告。3つ目は海外での働きの中で自分たちに不足していると思うことを、母国で補うことです。

 母国を離れて海外や異文化の国で生活をする時に、生活初期の段階で「カルチャーショック」を受けることがあります。母国ではこういうやり方なのに、なぜこの国やこの場所ではこうなのだと比較をして怒りや悲しみの感情が出てきたり、受け入れられない思いが出てきたりするのです。

 人によってかかる時間は違いますが、徐々にその環境に適応するにつれて、様々な違いを自分なりに受容できるようになってきます。そうすれば外国や異文化の中でも落ち着いて生活できるようになります。

 しかし今度は母国にまとまった期間戻る時に、大なり小なり「逆カルチャーショック」を体験することがあるのです。「なぜ母国はこうなのだ」と。今度は自分が滞在していた国の良かった面と、母国のそうでない面の違いが気になりはじめるのです。

 宣教師も特に第1期が終わっての帰国時には注意しないといけないとある文面で学びました。海外で数年過ごし、特に第1期は海外の文化や教会になんとかして必死に溶け込もうとしているだけに、かなりの精神的緊張状態の中にあるといえます。宣教師にとって最も困難とも言われているのが第1期です。その時期を過ごした反動ともいえるかもしれませんが、母国に帰ってくると、母国の様々な現状にショックを受けてしまうことがあるのです。今から当時のことを振り返るならば、このような「逆カルチャーショック」があるということも前もって知る必要があったと自分の体験からも反省しつつ、教えられています。

 日本のやり方、海外のやり方、それぞれに違いがあり、それぞれに良いところ、そしてそれぞれに課題があることを切り分けて、冷静に見られるようになれば、時間はかかることがあったとしても、これらのカルチャーショック症状を乗り越えることができることでしょう。

 そのような意味でも、異文化の中で知らず知らずのうちに疲弊している心と体を定期的に休ませることは大切なのだと思います。ある国の宣教団体は、数年働いた宣教師が母国に帰国した場合、最初の1か月は何も予定を入れずに休ませるようにしていると聞いたことがあります。心や体の疲労というものは限度を過ぎると感覚が麻痺し、感じなくなってしまいます。そのまま突っ走ると、突然折れてしまうこともあり得ます。そうなる前に宣教地で適切な休息をとることも必要ですが、言葉が通じる母国でしか味わうことのできない休息もあるのです。

 心と体の休息、また霊的な面での充電も必要かもしれません。そして健康チェックはまとまった期間の帰国の中で大切なことです。1年間の帰国は、日本での住まいをどうするか、また生活をどうするか、子供の教育をどうするかなどの課題もあるのですが、腰を据えて様々なことを考え直し、再度の海外への派遣に備える良い機会だと思います。

 

2.宣教報告

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 2011年は帰国して早々に大きな地震があり、様々な面で日本中が揺れた年でした。地震によって大きな被害を受けた場所、また人々のために祈らされました。そのような中でしたが、2011年の約1年間に渡り、私たちの働きを祈り、支援してくださった全国の教会を再度訪問し、宣教の報告をする機会が与えられました。

 「これからA国の働きのために祈ります」という声を頂くデプテーション、そして再訪問の時の「祈っていましたよ」という教会の方々の声にどれほど励まされたでしょうか。パウロがそうであったように、務めを委託されて宣教地に遣わされている者として、その派遣元に戻り、宣教地にて神様がなされたことを母国の教会の方々に報告をするというのは大事なことだと思わされています。今の時代は直接訪問して報告する以外にもメール、SNSやネットにて、現地にいてもリアルタイムで現状を母国の方々に報告できる便利な時代になりました。

 思い起こすならば2013年、A国の地方に住み始めた年に洪水が発生しました。その時にはすぐに日本の諸教会にメールで祈りのお願いをしました。「教会の皆で祈りました」というお返事をすぐに頂いたことが、自宅近辺で腰ぐらいまでの水が押し寄せ、1週間近くも外出できない中でどれほど力強く思ったことでしょう。結果的に自宅はあと数センチぎりぎりの所で床上浸水からは守られ、神様に感謝しました。リアルタイムで情報が伝えられる時代であることをその出来事を通しても実感しました。

 現在はそのような情報伝達には便利な時代ですし、また最近はリモートでの報告の機会も増えましたが、やはり直接顔と顔を合わせてお話しするということに勝るものはないように思います。

 

3.不足しているものを補うこと

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 1年間帰国した2011年は、長女は小学校1年生になり、また長男は幼稚園の年少組になる年でした。それぞれ数年間海外で暮らし、海外生活の方が日本よりも期間が長くなっていました。文化や風習も違う中で、子供たちも日本での生活に当初戸惑うこともあったと思いますが、長女も長男もそれぞれ日本の学校や幼稚園に1年間通うことができたことは、今までの日本語経験の不足を補うという面でも本当に良い時だったと思います。

 海外で子供が育つと、母語の問題、また子供自身のアイデンティティがはっきりしなくなることも多いと耳にしたことがあります。日本人でもなく、A国人でもない、自分はいったい何人なのだろうかという悩みです。最近はサードカルチャーキッズという言葉も生まれ、この問題が提起されてきています。私たちに関して言えば、この2011年の1年間というまとまった期間の帰国は、子供なりに自らのアイデンティティというものを、日本語という母語も含めてある程度確立していくための助けになったのではないかと考えています。1年間、毎日楽しそうに学校に通っていた姿が印象的でした。

 思い返すと、2011年は今までの歩みの中で、1年間日本に帰国をした唯一の年となりました。これ以降、宣教第2期はA国の地方で集まりを新しく始めたこともあり、その働きを放置して長期間帰国をする訳にもいかず、1年間というまとまった期間の帰国は難しくなりました。

 そのような中で、私たちは現地の働きの実情に応じて、また現地で特に第2期は海外でホームスクールを始めたこともあり、子供たちの日本語教育の補完のためにも、派遣教会と宣教団体の理解のもと、2011年以降は1年単位で短期の帰国を繰り返すこととなりました。

 当時子供たちにとっては例え短い期間であったとしても帰国でき、日本という環境や日本語に直接触れることができたことは、長い目で見て良かったと思っています。

 

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